2006/02/03 BBSで、ushiさんとりーさんが書き込んだ「コレクションのデジタル化による長期保存」という件で思い出した事を書いておこう。 数名の若手評論家によって書かれた、とある映画の本に、共著者の一人を襲った悲劇が書かれている。 彼のコレクションである長年かかってせっせと集めた映画のパンフレットがカビにやられ見るも無惨に朽ち果ててしまったというお話。 彼は落ち込み嘆く。 「あぁ、なんという事だ!」 だが、彼はふと考える。 自分の好きな映画も失われていく運命にあるのではないか。傷つき褪色する運命からフィルムは逃れられない。 いや、そもそも上映される瞬間・瞬間に映画の1カット・1カットは闇の中に失われていく物ではなかったか。 うん、そうだそうだ、その通りだ。 パンフレットが朽ち果てたからといってガッカリするのはもうやめよう。元気を出してまた明日から映画館にいそいそと出かけよう。 その本の名前は「映画的!」 人が映画を語る時、実は映画でない部分を語って満足してしまう時がある。 例えば、人種差別を真正面から扱った傑作だ。戦争の悲惨さを描いた名作だ…とか。 ベトナム戦争を描いた「ある映画」を、真実が描かれていない(嘘がある)と、教科書で読んだ「カナダエスキモー」という作品で僕の記憶にある作家が批判したり、とか。 そうじゃないよ。映画というのは映画を映画足らしめる様々な断片から出来ているんだよ。映画の中にちりばめられたそれらが映画を映画として生き生きと輝かせるんでしょ。そんな要素を「映画的!」と呼ぼう。そして「映画的!」なモノの魅力を語りあってしまおう。 そういうコンセプトで作られた本である。 ここのコメント・書評欄が「映画的!」に触れている。しかも短い文で的確に… これだけ書いてしまうと、もう、皆さん気がつかれた事でしょう。―当サイトの名前の由来を。 2006/02/14 15日付で、etc.カテゴリ、12月の扉画像分、更新。 「闇」はかどらず。 2006/02/21 「婦人警官 闇 Scene03」前半部を更新。 一言だけ。 個人的には「ローマの〜」よりも「サブリナ」の方がはるかに優れた映画だと思っています。 2006/02/28 ありゃ、いつの間にか今月は終わり。 日記などというこのコンテンツのいい加減な事…(もっといい加減な時期が以前にありましたが) さて、少しニュースから。 まず、これ。 この期に及んでこの状態なら、「幇助」で法を拡大解釈して逮捕した時のように、流出させた本人や上司や官公庁のトップを逮捕したりすれば、また面白いと思う。当然、京都府警あたりがやれば拍手をしてやる。 なにしろ、京都府警さんの捜査資料流出から数年でしょう。以降、現在まで流出が後を絶たないのは、当然、流れたって仕方ないやという意識があると解釈できるわけで「意図せず流出した」というのは言い訳にならない時代になっていると思うのだけれど。 こういう事を書くと僕がWinny使いと短絡的に思い込む人がいそうなのですが、ポートを開くスキルがないので、やった事はない。(カッコワルイね) 他のP2Pソフトを使っているけど、最近はとんとご無沙汰で繋いでない。仲間の方々には申し訳ないと思う。 参考リンク。 次にこれ。 おいおい…。これって警職法違反にはならないのかしら?―第二条の3を逸脱しないとこのような事態は起こりえないと思う。 このニュースも読んでいて辛かった。 難しい事なのだろうけど、様々な事件が起こるたびに紋切り型で繰り返される「心のケア」という言葉があって、それが具体的にどのようなものか僕はよく知らない。 ただ「動機の解明」と天秤にかけられてしまう程度のものだとは想像もしていなかったし、動機って主観的なものだとばかり思っていたので、このような形を採ってまで動機に裏付が必要なのか、僕にはよく解からなかったりする。 「むしゃくしゃしてやった。今は反省している」という紋切り型の動機にも入念な検証が行われていたんだろうな。
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