2009/02/12 えー、明日、栃木県の小山警察署管内のATMにお出かけするといい事があるかもしれないよ、というお話。 13日の金曜日…なんだけれどね。 2009/02/14 星新一の「声の網」を読む。 彼の作品でショートショート以外のものって、あまり読んでいなかったのだ。遠征旅行の時にKIOSKにて購入。 1970年、今から約40年前の作品なのだけれど、今読んでも面白い…というか、今この現代に読むということでの独特の味わい深さもある。 題名「声の網」でピンときた方もいるでしょうが、「網=ネット」という部分がファンタジーながらも実に現代的である。 思い切って一部を引用する。
文庫の解説でも触れられているのだけれど、こういう部分がたいへん興味深い。 情報なるものに対する妙な飢餓感とか焦り、そして混沌さなどを感じてしまう今日の空気を上手く描いているなあと思う。 もう一箇所、面白かったのが「ある仮定」として語られる「人類の文明の進歩と宇宙の進化」のお話。 ちょっとしたトンデモ学説的なもので、しかしながらじゅうぶんな説得力を持って語られる法螺話といった趣きである。 日本のSF作家たちに蜜月期とも呼べる時代があり、その頃の彼らは夜な夜な集まり馬鹿話に花を咲かせていたという事をあらためて思い起こさせてくれた。 しかし、法螺というと言葉は悪いかもしれない。その仮説は作品自体のテーマにも関わってくる重要な部分であり、物語は「文明の進歩」の最後の形態「永遠につづく平穏な生活」に世界は落ち着いて終わる。 同じく星新一の「白い服の男」の状況と読み比べるのも面白いかも、と思っていたら、このサイトの更新停滞期に日記で触れようと思いつつ触れていなかった「イキガミ」の件を思い出してしまった。 「生活維持省」も「平和の訪れとその維持」に関する物語だったなあ。 久しぶりに懐かしい日本SFに触れたので広瀬正の「タイムマシンのつくりかた」を買ってしまった。 この本についてはレビューのあるブログを紹介しておきます。 文庫で780円とは本も高くなったものだと思っていたら、この本と関連するロバート・A・ハインラインの「時の門」がAmazonですごい値がついていて驚いた。 2009/02/15 車で某警察署の前を通ったら署の前の掲示板になにやら見慣れぬポスターが…。 もしや来年度の採用ポスターかと思いつつ署の前を通り過ぎ、しばらく走ると某交番の前へ。 交番の掲示板にも同じものが貼られておる。 運転中なのでじっくりと観察するわけにもいかなかったのだけれど、パッと見の印象は「あー、そうきましたか」みたいな。 デザイン的にはここ数年のポスターの中では凡庸の部類に入る。 県警サイトの採用ページが来年度用に新しくなった時、採用TOPページのFLASHムービーがなんとなあく想像できてしまう凡庸さだ。 シュピーン・シャン・シャン・シャン…パカパカパカパカ・ジャジャン! いや…まあ、わかりにくい表現で申し訳ないんだけれど、そういうコンテンツ前提でデザインされてる感じ。 婦警さんの写真(防刃ベストみたいなの着用)もあるようだったので、何らかの形で入手できればスキャン画像を公開するかもしれません。 2009/02/17 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの翻訳。 いいなあ。 【追記4】(2)の指摘も興味深い。 例の会見よりも、世界的な話題になってほしいものだ。 この受賞スピーチの内容を教科書に採用するというのも面白いのではなかろうか。 何の教科書か? もちろん、このサイトで言及するからには、警察学校の教科書のことである。 2009/02/18 さて、昨日紹介した村上春樹スピーチの全文和訳バージョンが同じブログに掲載されていました。 ありがたいことです。 このスピーチに関連して、ちょっとあるところで読んだ文章を考えてみた。 その文章は、この出来事に言及したあるサイトの記事です。(参考) そのサイトには「これで一応の決着はついたとみるべきだろう」と書かれているのだけれど、自分としてはニュースに触れて、決着どころか新しい何かのはじまりであるという印象を受けた。 なぜ、そのサイトが「決着」と判断したかというと、女性の支援団体が日本共産党や憲法9条堅持を主張する組織だから…らしい。 そのため、彼女の存在は他の隊員の士気を下げるから、任用継続拒否の判断は妥当、との事。 「卵と壁」を「人とシステム」としてスピーチした村上春樹風に言うと、上記の発想はあまりにもシステムに寄り添い、そして、取り込まれてしまった考え方なんじゃないのかなあ、と思う。 僕に最もそう感じさせたのは、支援団体の政治色が自衛隊の士気に影響するという部分。 もしも、そのような理由で士気が低下する自衛隊ならば、僕は国防を任せられない。 災害が起った場合、政治的理由で救援に差別が生じるのだろうか。―まさか! そういう意味で、件のブログにある発想は、自衛隊員を個として…つまり壁にぶつかると割れてしまう卵として捉えたとき、隊員に対して失礼になってしまうのではなかろうかと懸念する。 一読して素直にそのような感想を持った。 村上春樹のロジックがなければ、このような文章を日記には書かなかったかもしれない。 一部を、翻訳から引用する。 どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違っていようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。 と、まあ、そういうわけです。 2009/02/21 さて、先日紹介した村上春樹スピーチを録音テープから起したものの日本語訳が47NEWSに掲載されていました。 興味のある方は、比較してみるのも面白いかも。 さらに先日、このスピーチに関連して、ちょっとあるところで読んだ文章を考えてみたところ、先方に反応があったので、その感想を書き留めておこう。 今回は、向こうがリンクを貼っているので、こちらからも貼る。 うちのBBSにも書き込んでくださった村松さんである。 2月21日付の日記にある先方の論旨の中に「あなたの考えは尊重する。と同時に私の考えもある」という内容がある。 まあ当たり前だ。一つの事象に対して賛成・反対の意見があるのは当然ではある。 でもね、文を読んでみると、どこをどうこちらの考えが尊重されているのかわからない。 まずタイトル「わはー(笑)」 なに笑って誤魔化してるんだ、という感じ。真摯に受け止めてない。尊重の態度と違う。 つづく「機動掃射の非難を浴びた」という表現。 これは18日の日記の文の読解のしかた次第だとは思うけれど、こちらはそのように比喩されるような表現を用いたつもりはない。 そういう意味で「つるし上げたエントリー」という受け止め方もこちらのニュアンスとずれがある。 必要以上に過剰な表現をとることでまるで被害者を装われているようで甚だ不愉快である。 村松さんもそれがわかっているのか「こういう書き方がまた彼の神経を逆撫でしてしまうのだろうが(苦笑)。」と上から目線で書いておる。 不愉快なのでこちらもさらに余計なことを書く。 BBSに村松さんが書いた当サイトの会員専用の画像掲示板の件である。 「この掲示板は、芸能人がひな壇でがやがやと楽屋裏話で盛り上がる様子を垂れ流し、肝心の場面は『ピー』音で消してしまう民放バラティーと同根であると考えます。」 まあ、自分はスノッブな人間なので、その言い方は正しい。画像以外にパスはかけず、やり取りが読めるように、敢えてしているのだから。 いい機会なので書いておくと、閲覧のみでサイトへの参加意識の低かった方々が、そのような方法に対して「見たい見たい、画像を見たい」と苛立つのならば、ぺろりと舌を出して「残念でした」と笑っているかもしれない。 そのように性根が腐った部分も、悲しいかな、自分にはある。 でもね、じゃあ、村松さんの書く内容に「民放バラティーと同根」の部分が皆無かといえば、僕にはそうじゃないんじゃないかなあ、って思う…っていうか逆に、そういう表現が多いとさえ感じる。 「敢えてアドレスは記さない。興味のある方は検索して見つけていただきたい」とか、先にも書いた「彼の神経を逆撫でしてしまう」書き方をして他の表現を模索しない…というより「逆撫でてしまう」表現を模索して選択するニュースワイドショー的な部分とか、かなり散見される。 しかし、そのような表現がどこにあるかは敢えて記さない。興味のある方は村松さんの書いた日記をつぶさに読んで見つけていただきたい。 まあ、BBSに書かれてしまった「管理人様と私は過去、何度か悶着がありました。」という部分は、そういう互いの性格に起因している部分もあるわけで、残念ではあるけれども、距離を置いて活動する方が、多分、先方もお互いにとって、よいと思っているはずだ。 と、まあ、逆撫でられた勢いで書いてみた。 ところで、村上春樹の「卵」という表現は面白いね。 崩れてしまいそうな弱い中身を守るために固い殻がある…というのも卵の特徴なのだから。 2009/02/23 ちと、まずはニュースから。 これはまあ、犯罪予告が増えたというよりも犯罪予告とは何かという根源的な興味というか、そのようなものも背景にありそうな気がする。 秋葉原の無差別殺傷事件を境に、犯罪予告的な書き込みの量の増減を考慮しないとしても、「通報する」という行為自体も増えただろうし。 今回の記事の主役(?)は「よーし、パパ今から田端で大量殺戮(さつりく)しちゃうぞー。何を?」と書き込んで逮捕された28歳の男性会社員。 その書き込みがなされたのは「犯行予告を話題にした掲示板」で、「渋谷で大量殺人します。……とか書いたらヤバイだろ」「日本で大量数人(原文のまま)します。これはどう?」などの書き込みもあったらしい。 「アウト」か「セーフ」かで遊んでいる感じ。 原因は多分「人を投す」や「小女子」や「埼京線上野駅」などの犯罪予告的な遊戯を行った者が逮捕された事案が極めて喜劇的な雰囲気を纏っている事にあるのかもしれない。 喜劇的というのは、不謹慎と怒られるのは覚悟の上で言うが、文脈を判断せずに逮捕に踏み切ったことで、「警察は文脈を判断できない」という烙印を一部の者に押された、と感じさせる部分だ。(実際、自分は警察に対してそういう烙印を押した) 警察が烙印を押された、と書いたけれど、押した側にその自覚はなくて、なんとなくそのような状況がヘンテコだなあ、という印象を受けた、とかその程度のものだったかもしれない。 事実、逮捕された彼は「書き込みを転載した人間も悪いし、通報した人間も面白半分じゃないか。どうして僕だけ逮捕されるのか」と言っている。 これまで、通報した者の(110番の悪戯電話に通じるような)悪意に関しては、なかなか表立って言及されることがなかった。 今回の記事には、面白半分に予告を煽るサイトを「警察庁は『犯罪を助長する行為』と問題視している」とあるけれど、実際のところ、逮捕というセンセーショナルな対応をすることによって「面白半分の通報を煽った警察」という見方もできると思うのだ。 こういう風に文章化してしまったけれど、こういう分析…というか具体的な言語化をせずに「なんだかヘンテコだな」と違和感を覚えたままで、その違和感の原因が解らないままニュースの上を通り過ぎていった人々も大勢いて、その違和感の堆積から生まれる歪みを修正しようという動きが「遊戯としての予告・通報」となってあらわれたのではなかろうか、と推測するわけですよ。 御伽噺に「北風と太陽」ってあるけど、警察が自覚的に北風であろうとするのは、もう少し謹んでもよいのではないか、と思う今日この頃でした。 あとはまあ…ここから本題ということなのだけれど、誤解は解いておきたいんだよなあ。 簡潔に書きます。 2月18日の村松さんの記事に関しては「晩酌が旨くない」話を中心にしたものが読みたかった、という事です。 あのニュースを読んで、やはり晩酌が旨くないと感じた自衛官だって多少なりともいると思うのですよ。 23日付の文章にある「そんなこの世の生き地獄から俺を救い出してくれたのが、女性警察官のみなさんだった。」の「女性警察官」の部分を「女性自衛官」に置き換えることが可能なら、そういう方向からも何か書けるのではと期待したのです。 ああ、あと某所の「4行目ブブー」が村松さんだとしたら、援護射撃ありがとう、とお礼いたします。ありがとう。 2009/02/25 なにやら話題の映画に関連したこのような記事を見つけた。 元刑事の納棺師だそうだ。 写真を見ると、納棺師というより刑事ドラマの一場面みたい。 谷島「ありゃあ、どう見たってシロだな」 さくら「私、ちょっと気になるところがあるんですが」 ―みたいな。 なんと言っても名前がいい。さくらさん。うちが借りてるサーバと同じだ。 ああ見送ってほしい…と思いつつ、やっぱ生きてるうちに会いたい、と思うべきなんだろうなと考えた。 しかし、滝田洋二郎監督がこんなステージに上がるとは。 彼がむかし撮った映画「真昼の切り裂き魔」ってDVDが出てるんだー。 この作品、ブライアン・デ・パルマが好きな方は面白く感じるかも。屋上の会話シーンやエレベータのイメージシーンが印象深かった。 痴漢電車シリーズもヘンテコなコメディポルノで、中にはずいぶん面白い作品があったと思う。 そのシリーズでは蛍雪次郎という役者さんが印象的だったんだけど、彼は、やはりポルノ出身の映画監督・金子修介の平成ガメラシリーズで、怪獣の第一発見者である長崎県警の大迫刑事(二作目以降は元刑事)というおいしい役を与えられています。 当サイトの趣旨に即した滝田監督の豆知識としては、1986年の「コミック雑誌なんかいらない!」で内田裕也作品の監督に迎えられたという部分でしょうか。 内田裕也作品は「水のないプール」を「十三人連続暴行魔 」の若松孝二が監督したり、つづく崔洋一監督の「十階のモスキート」では風祭ゆきさんがいい演技を見せたりと、なぜか婦警さんに縁が深い(?)。 しかしまあ、僕がその昔、映画を見まくっていた頃には、滝田洋二郎監督は「日本のブライアン・デ・パルマ」であって「日本のヒッチコック」ではなかった(技巧先行で奥行きに欠けるという感じの評価かな)ので、アカデミー賞というのは実に驚き。 この話題から「アカデミー賞」→「レッドカーペット」→「水曜夜10時のお笑い番組」→「その裏の久米宏の番組で八木ちゃんレギュラー出演」と、自分が好きなタレントさんの話題に話を飛ばすには少々アクロバット的な強引さがあるかな。 ま、単純にアカデミー賞つながりというのもあるんだった。
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