2009/09/02

さてニュースです。
ある報道によると彼女の日記には閲覧制限がかかっていた(公開者限定)とある。その中に一般人がいたことが、さも重要なことのようにかかれているが、実のところ、いようがいまいが重要ではない。
気になるのは、交通事故現場に4時間立ちつづけることの意味を「実際に重要な意味を持つ事」として彼女が理解できるように教育したのかしていないのかとか、そういうのが気になるのだなあ。
仕事の一つ一つに疑問を持つことは悪いことではないと思うし、それが今後もしかすると効率的勤務に改善されるきっかけとなるかもしれないのだし、逆に言うと、与えられた仕事に対して「ああ仕事とはこのようなものなのだなあ」と疑問を抱かず、過去から連綿と受け継がれてきた方法を無自覚・無批判・無反省にそのまま受け入れてしまう者が信用を獲得し得るかというと、そうとも言えないのではないかと思う。
SNSの公開者限定の日記が信用失墜であるとすれば、これを本人ではなく上司に報告してしまった「同僚」の方が信用的にどうかとも思うし、それよりもっと「信用」なるものをぐらつかせるのは、この程度の事で処分するという警察組織のヒステリックさであって、労働に対する対価への不平や上司への不満、世間が見る職場と現実とのギャップなどを「親しいものだけに話す」という行為は20代の若者にとって何らおかしなことではないし、また誰もが考える事である、と理解できない硬直した思考なんだよなあ。

この出来事の構図には「飲みに行った時にあいつ仕事の不満や課長の悪口を言っていましたよ」という告げ口に、会社ぐるみで過剰反応して辞職に追い込んだ、っていう以上のものが見えない。
そういう会社は腐っていると僕は思うなあ。

彼女が依願退職していなかったら「僕のような者でよければ愚痴を聞かせてください。それであなたの気持ちが少しでも軽くなるのなら、それだけで僕は幸福な気持ちになります」と優しく声をかけたいのだけれど、辞めて婦警さんじゃなくなったから「まあ、辞めるいいきっかけになってよかったじゃありませんか。今後は自分が活き活きと輝けるような新しい職場を見つけて頑張ってくだされ」としか言いようがない。

斯様に世の中は非情なのであった。



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