2010/01/19 さてさて、年が明けてからずいぶんと長い長い時間が経ってしまいましたが、皆様、今年もよろしくお願いいたします。 上の画像は1月6日の福岡県警察年頭視閲式のもの。 昨年まではYAHOOドームで行われていたのだけれど、今年から屋外の施設に。 告知にあった場所(福岡市雁の巣レクリエーションセンター)には野球のスタジアムがあったものだから、てっきりスタジアムで開催されるものと思っていた自分は甘かった。 開催場所は駐車場でした。 お話によると「ドームは(使用料が)高い」とのことらしいです。 まったくもう、昨年新庁舎となった小倉北警察署をもう少し慎ましいつくりにすればよかったのに。 壁面の「POLICE」の文字の施工料金とドームの使用料とどちらが高いのかしらん? 旧庁舎の建物の規模を考えるとフロア2階分くらいはいらない気もするし、どうもお金の使い方のバランスが悪い。 ついつい俺様が仕分けしてやろうか、などと不遜なことを考えてしまう。 まあ、個人的には、ドームがよい、というわけではなく屋外での視閲を否定しない。 現場の警察官の中に「ドームで出来ていればなあ」的な雰囲気があったような気がする。 やはり予算が縮小されてしまったのは残念だ…みたいな。 で、屋外に移ったせいで何が起ったかというと、先ず気がついたのは、見学者のキャパシティが激減したのではなかろうか、という部分。 昨年までの人数の見学者が訪れていたら、会場の規模的に大変な事になっていたと思うのだけれど、実際に現場はそうでもなかったような感じ。 交通の便がドームに比べてよくないという部分もあり、一般来場者の減少もあったとは思うのだけれども、県警側でも、地域の防犯ボランティアをはじめ警察活動に協力している一般人の方々の招待を大幅に減らしたのではないのかなあという印象がある。 まあ、あくまで「印象」なので正確なところはわからないのだけれど。 そして警備にあたっていた警察官が進行をうまく把握できていなかったという部分もあった。 画像を撮影した場所は「部隊が待機するから入れないですよ」と言われた場所なのだけれど、いざ始まってみると観客の見学場所の一部になっていて、待機場所はまったく別の所だった。 テントのある見学席は二箇所あったのだけれども、一箇所に関しては場所がわかりにくく、少し早めに入場して下見をしていた時には、警察官に「ここから先は入れません」と言われた。いったいどうなっておるのだ。 さて、これまでは長い前振りであって、ここから本格的な当サイト的な、つまり婦警的な愚痴を書く。 今年、婦警部隊は活動服にズボンオンリーでした。これはいただけない。さらに言うと、ジャケットタイプの上着ではない活動服なのに、靴はパンプスという選択はどうなの、と。 機動隊だの車輌部隊だのと警察官装備のバリエーションも披露しているのだから、婦警部隊の最強装備である、そしてパンプスにもぴったりのスカート制服の復活を切に望む。真剣に望む。マジで望む。お願いします。もう悪いことはしませんから。 また、式典終了後の「ふれあい広場」も規模縮小だったよなあ。 福岡県警の場合は、学校が冬休みの時期に視閲の開催をリンクさせて「ふれあい広場」を開催することで、子供達にも広く警察活動を啓蒙する、という部分が確実にあったと想像するのだけれども、交通安全に関するものがないというのはどうなの、と。 これは予算が縮小され開催場所が変わったって内部努力でどうにかなることなのだから、次回はあった方がいいんじゃないのかなあ。 んでもって、ふれあい広場に移ってからのカラーガードの演技がなかったという点に関しては、疑問に思われていた方の文章を拝見したので、個人的な推測を書いておこうと思います。 会場アナウンスが「風が強く演奏に影響するため音楽隊はテントで演奏します」と言っていたから、強風を考慮して演技を急遽中止したのではないか、というのが私の推測です。 フラッグ演技は風に弱い。まるで星飛雄馬の大リーグボール二号だ…と言ったところではないでしょうか。 「ふれあい広場」に移る前、ジャージ姿でフラッグ回す練習などをしていたから、当日の中止判断だったと思われます。 来年は屋外でも、コンディションがよければ、華麗な演技を披露してくれると思います。 自分は行っていないのだけれども、千葉県警の視閲は観客が警察官の部隊を背中から見る、という配置だったらしい。 これは観客が警察官の視点となって上司である本部長や県知事、来賓と対峙するという形になり、観客が登壇者と同じ目線で警察官と対峙するという構造と反対なわけだ。 考えようによっては、観客にとってたいへん失礼な配置ではなかろうか。 見学にいった方は、少し怒ってもいいんじゃないかな。 2010/01/31 というわけで、1月も終わりそうなのであわてて日記を書く。 今から楽しみな2月の新刊。 四半世紀前のコラボも参考にリンクしておこう。 最近の読書。 ロバート・シェクリイ「人間の手がまだ触れない」 この短編集に収められている作品は1950年代の前半に書かれている。 ある作品がその後の作家たちに影響を及ぼした、といういわゆる「歴史的名作」を読む場合、あ、その発想は既に知ってる…なあんて感じに陥る場合もあるのだけれど、いやあ、面白い面白い。感動的だ。 SFの表現の一つに、異星人の文化や未来の文化が、我々の世界で常識とされているものと全く異なる、というものがあり、そのような表現は我々が常識として当然の如く受け入れてしまっている数多の物事を疑ってみる、ということを教えてくれる。 例えば「殺人が合法化された社会」てな物語を、小説に限らず漫画や映画などで読んだり見たりした事があるでしょう。 そして、そのような物語に触れた時に、人は新鮮さを感じたりする。―また一方では、既存の常識を疑うこと自体を「いけないこと」のように思ってしまう人々にとっては唾棄すべきジャンル、てなことになるのかもしれない。 この短編集に収められた作品で、僕が特にお勧めしたいのは「あたたかい」と「専門家」の二本です。 しかし、文庫が840円か。結構高いよね。 広瀬正「マイナス・ゼロ」 恥ずかしながら、自分の近作が既に1年以上前の「時をかける茜」という短編である。その作品のラストの部分に「封印された物語」という表現をしたのだけれども、何のことはない、僕にそのような物語を書く能力がないのである。 本格的なタイムマシン物を読んでおこう、と思い購入。長編としても読み応えがあり、非常に素晴らしい作品でした。 なかなか読む時間が取れなくて、読書中は帰宅するのが楽しかった。長編のラストとしての大団円もよかった。登場人物が勢ぞろいして物語のエンディングの先にある希望を見つめているという感じのラストシーンを一度は書いてみたいんだよなあ。 小林信彦「黒澤明という時代」 自分の好きなコラムニストが自分の好きな映画監督の事を書いたとあって惹かれた。 このネット検索の時代に、作品のDVD、当時の自分の映画ノート、わずか数冊の「自らが信じる」という参考文献、そして記憶。それで書き進めていく姿勢が実に潔くいい感じだ。 発表作品の時系列に沿って論じられていて、自分が、結構、作品発表順の勘違いなどしていることに気がついたり、黒澤明が「世界のクロサワ」と呼ばれるタイミングに関しての言及があって、そのタイミングが自分が想像していたものよりも意外と遅かったりなどの発見もあり、夜更かししながら一気に読み上げてしまった。 そして、相変わらず幾冊かの「つん読」もあり。 しかしまあこのようなニュースがあるのだけれど、書店に行くたびに、そりゃあ消えるわけだよ、と思う。 今の書店は、本と出会うという行為において買い手に苦痛を強いるのだもの。 ぶらりと書店に入り意外な本を見つけその場で買う―つまり「書物が欲しいと思ったその瞬間に手に入る」という点が、書店がネット販売に勝る点なのだから、潰れたくなければそこに力を入れるしかないと思うのだけれども、そのような傾向・兆候は一切みられない。残念である。 時事ネタも色々あるけれど、具体的にソース貼ってとかは面倒なので、メモ程度に適当に書きとめておく。 「報道にリーク」などの検察批判は政治的立場と切り離して語られるべきであると思っている。事件が事件なので、特定政党擁護の文脈で語られ倒されると問題点がうやむやになってしまいそうな危惧がある。 婦警関連のセクハラニュースがあったけれど、非犯罪として処理されるセクハラと犯罪の線引きはどこにあり誰が行うのか。セクハラで処分されたのと同様の事を、同じ相手に僕がやって、それってセクハラですよおゼロさんったらプンプン、で済むなら、俺はセクハラ親父になりたい。 あと、警察内部の出来事で犯罪の可能性ぷんぷんの事案に対して、平気で被害届を出さないとかってなるのならば、一般人に対しても「その被害届、ちょっと待って!〜被害届を出すと周りとの関係がこじれ、あなた自身の心が傷つく場合があります。痴漢・暴行・強姦などに遭った場合でも、よく考えて被害届を出すかどうか決めましょう〜犯罪認知件数も、被害届の取り下げによって減少し、あなたの街が治安のよい安全な社会とみなされる幻想が広がります」なあんてポスターでも作って、全国の警察署や交番に貼れ。 メモ程度ではなく、いつかは日記で言及するかもしれないニュースもいくつか。 いずれも福岡県警関連なのであった。 交通安全協会および警友会の証紙問題ニュース。 これは朝日新聞で「警友会→交通安全協会の業務丸投げ」という文脈のニュースも読んだ。(朝日のネットにはなかった) 井筒屋工藤会弁当事件。 ある事案を犯罪と定義すれば警察が取締ることが出来るのに、なぜかそれをやらずに市民サイドに対応を押し付ける、この胡散臭い条例と併せて、お考え下さい。 そんなことだから、暴力団のこーゆー笑うに笑えない事件が起きる。 最後に機動隊での自殺未遂。 これも暴行事件を「パワハラ」と表現すると犯罪にならないという不思議。だったら「愛の鞭」っつってある程度の体罰を社会全体で認めたほうがよいだろうに。 理不尽な警官に対して、当然その上の立場である納税者が「パワハラ」したら公務執行妨害にするくせに。 あと、まだ誰も問題にしていないけれども、パチンコ店舗の大型電光ビジョンにおける県警の広報映像の活用は、二者の利害関係を考えた時に、はなはだ「不適切」だと思っている。 広告費を払っていてもいなくても、どちらでも問題になる可能性があるから、志布志事件をスクープし、上の証紙問題についても独自調査で記事を書いた朝日新聞社あたりが首を突っ込まないうちに自粛した方がいいと思うんですよね。 うちのサイト、朝日新聞の記者が読むより、福岡県警の人が読んでいる確率の方が高かろうと思い、ちと書いてみましたとさ。 これからも、福岡に住んでることを今以上に誇りに思いたいものです。
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