2010/04/28

なにやらボーッとしているうちにサイトが8周年を迎えてしまったぞ。
時が経つのは早いもの。
親はなくとも子は育つ、か。昔の人はいいコト言ったもんだ。

さて、当サイトはさておき、4月になって、世の中のいろいろなものが新しくなったのだけれども、ここは福岡県警の公式サイトのリニューアルを取り上げておかねばなるまい。

「仁義なき戦い 頂上作戦」やら「県警対組織暴力」といった東映の映画を彷彿とさせる出来事が頻繁に更新されているわけなのだけれども、この背景には、4月から施行された「福岡県暴力団排除条例」なるのもがある。
これは先月末の日記で「崩壊」などと書いたのだけれども、実のところ、その「崩壊」感は、この条例に対してだけではなくて、施行時に「暴力団新法」と呼ばれた「暴力団対策法」(正式には「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」と呼ぶらしい)が出来た頃からあって、それは、こういう法律は暴力団を撲滅するという目的もあろうが、ある意味、暴力団の存在を国が正しく認めてしまったことにもなるのではなかろうか、という疑念である。
暴対法は指定暴力団なんていうものを定義して、ある種の民事介入暴力を刑事にした感じなのだけれども、裏を返せば、そういう悪い事をしなければ、法で定義した「指定暴力団」でさえ、その存在は認めますよ、と太鼓判を押したようなものだ、と考えてしまったのですね。
いわゆる「指定暴力団の存在を許さない」のではなく、「指定暴力団の一定行為を規制する」のだから、例えば「食べ物を扱うお店は衛生的でなければならない」と規定する法律があるのと同じようなものなのかな、と。
で、その場合、行政機関が「食べ物を扱う店」を否定することはしない。少し前に色々と「食の安全」なんてものが話題になったけれども、行政機関が公式に「まったく食い物屋って商売は、ちょっと油断すると売上のために賞味期限を書換えるなあんて事を平気でやる連中だ」とは言わない。口が裂けても言わない。
しかるに「暴力団」なるものに関しては、なぜか、行政機関が「排除すべき」とした発言を繰り返している。これは、ちょっと怖い。大丈夫か、と言いたくなる。
その口があるなら、いますぐ、暴力団員を全員逮捕しろよ、と。出来ないなら言うな、と。
この「出来ないなら」というのは逮捕する能力がないなら、というわけではなく、逮捕する根拠がないから逮捕できないのであれば、行政機関に所属する役人であれば言うべきではない、という意味です。
このニュアンスは伝えるのが難しいのだけれども、コレを読んでる皆さんは私の言わんとすることを解ってくださるかしら?

日弁連の声明のこれとかこれとか、ね。
いわゆる、捜査機関の気持ちはわかるけど、越えてはいけない一線は守って欲しい。
特に時効撤廃に関しては、言い方悪いけど、人を殺した時点で殺人者には時効という特典がついてきたのだ。それを奪うのは法の不遡及の原則に逆らってしまうんじゃあないのかな。
そしてこういう意見は、前の行に「言い方悪いけど」と書いたように、受け入れられがたい悪辣な意見に受け止められてしまう。それが、思考停止的な反論を許してしまうのが恐ろしいのだなあ。
このような、「感情的には賛意を示してしまいそうなのだけれども、よく考えるとまずいんじゃあないですか?」的な法規制の傾向が世の中どんどんどんどん強くなっていくと、明日は我が身ってな感じになりそうで恐ろしいのよね。

あまりダメダメ言ってばかりも心苦しいので、今回の条例に絡んでネットで見つけた記事をひとつ。
まあ、本来ならば警察のような組織が、店舗に対して雑誌の撤去を要請するというのも(背景に取締る側という権力を持っているだけに)暴力団的な行為だと思うので、このような事は基本的に(それがどんなに客観的に劣悪な内容の雑誌であっても)やってほしくないのだけれども、この記事の問答の中にある、「フィクションなヤクザ屋さんをどうやって取り締まるか?―そのフィクションの中のフィクションな警察の暴対がやるべき事ではないか。」という発言は、警察官が発した言葉の中で最も美しいもののひとつとして記憶されるべきだと思う。



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