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  Honky Tonk Policewomen


女性警察官ではなく婦警である件について

 そもそものきっかけは、東署地域課々長に対する県警本部長の一言だったらしい。
 その日、若宮三丁目交番の近況報告を求められ県警本部を訪れた課長は本部長を誉めちぎっていた。

「いや、さすがは本部長、婦警交番のアイディアは最高でございました。四人の婦警たちもやりがいを持って職務に励んでおる一方で、署の他の婦警たちへのよい刺激にもなっており署の婦人警察官全体の士気も上がっております。近隣の署、いや、我が県全署に対して我々東署々員は鼻が高いという次第でございまして、これもひとえに本部長の先見の明と申しますか…」

 しかし話を聞きながら次第に本部長は曇った顔になり、遂には課長の饒舌を掌で遮って止めた。

「ふむ…ところで」そして、苦虫を噛んだ顔でこう言ったのだ。「君のところでは女性警察官の事を、まだ婦警と言っているのかね」

 さらにとどめに「なんたる事だ」と嘆息した、という話だ。

「婦警と言われるのは君ら本人にとっては…なんたる事なのかい?」

 東署に戻った課長は寂しそうな顔をして、ちょうど地域課の部屋にいた慶子に言った。

「ん。いえ、私は婦警って呼ばれ慣れているから構いませんけど」
「だよなぁ。…こっちも呼び慣れてるから『女性警察官』や『女警』に改めろと急に言われてもなぁ」
「私が警察官を受験した頃は『婦人警察官』の試験でしたから、自分は『女警』と呼ばれるより『婦警』の方がしっくりきます」

 そう笑う慶子に課長は渋い顔のまま言った。

「そもそも『じょけー』って何なんだよ『じょけー』ってのはよぉ。略せばいいってもんじゃないだろうよ。響きに美しさってもんが微塵もない」

 ―アラ、言葉の美しさを云々するなんて課長らしくない…と、慶子は喉まで出かかった台詞をグッと堪えて、そしてゴクリと呑み込んだ。

 別の日、課長は由香をつかまえて、同じ事を訊いた。

「私は気にした事はありませんでしたけど…」

 と、由香は先ずそう返事をした。そして課長の顔色を伺いながらこう続けた。

「確かに『婦』という漢字が女偏に帚(ほうき)と書くから女性蔑視に繋がる、という考え方があるのは理解できますけど、看護婦を看護師と表現するのは、正直、私にも違和感がありました。ですから、呼びかけ易い言い方でいいと思いますよ。だって、一般の方は『婦警さん』って話しかけてきますから」
「だよな・だよな・だよな。由香ちゃんもそう思うよなぁ」

 ―いやその、いい年した課長が『由香ちゃん』と言うのを止めて下さい。私は婦警って呼ばれていいですから…と、由香は喉まで出かかった台詞をやっぱりグッと堪えて、そしてやっぱりゴクリと呑み込んだ。

 そして別の日には瑞枝が課長につかまった。

「アラ、別に『婦警』のままでいいんじゃありませんか?以前、私、デパートに勤めていましたけど、男性は『紳士服』女性は『婦人服』ですよ。デパートは、比較的、女性が多く働く職場ですが、そういう呼び方が女性差別だなんて言う人いませんでしたよ」
「うんうんうん、なるほどなるほど。さすが瑞枝クン、社会人経験があると、言う事にも重みというか、説得力があるねぇ。紳士服に婦人服か、うんうんうん、なるほどなるほど…」

 ―でも、よく考えたら『紳士警察官』って言い方は変ですよね。そもそも警察官に婦人はいても紳士は…と、瑞枝は喉まで出かかった台詞をもちろんグッと堪えて、そしてもちろんゴクリと呑み込んだ。

 茜もさらに別の日に課長につかまり、同様の事を訊ねられる。

「課長、よくぞ気付いてくれました」

 そう返事をした茜の瞳が輝いたのを見て、課長は少し反省した。

「そうか。茜ちゃんのような若い世代には、婦警って言葉より女性警察官って言葉のほうが馴染んでるんだよなぁ」

 しんみりとした表情の課長の顔を見て茜は意外にも首を横に振った。

「いえいえいえ違います違います逆ですよ、逆」
「―逆?」
「あのですね、あまり大きな声では言えませんが、よーく聞いて下さいよ」

 茜が急に声を潜めたので、課長は身を前に乗り出し彼女の話に耳を傾ける。

「時々、うちの交番に幼稚園や小学校から社会見学があるでしょう」
「うん、あるある。忙しいところを申し訳ないとは思うが、婦警だけが勤務してるってことで、ぶっちゃけ広報の一部も担っているからな、若宮三丁目交番は」

 二人の会話はいつの間にかヒソヒソ話になっている。

「ああいう時、子どもたちに対して自分たちのことをどう表現するかって問題なんですよ」
「ん?どういう事だい?」
「『婦警さんとのお約束を守って知らない人についていかないようにしましょうね』とか言うじゃないですか」
「あー、おうおうおう。そういう時は『婦警さん』なわけか」
「ですですです。そういう時に『女警さん』って変でしょう」
「おうおうおう!そうだなー!」
「シッ!声が大きいです」

 茜にたしなめられた課長はやや不満そうな顔になりながらも片手を顔の前で「すまん」と言うように立てて軽く頭を下げた。

「でも、内緒話をするような内容かね、これは?」
「いやいやいや、ここからが大きな声では言えない話になるんですよ」
「ほうほうほう」
「子どもたちだって『ふけーさん』のほうが『じょけーさん』より発音しやすいわけじゃないですか」
「そうだなー。『じょけーさん』って言う子どもの姿って想像しにくいよなぁ」
「でも、私たち、子どもたちに対して自分のことを『ふけーさん』って言っていないんですよ、実は」
「え?」

 怪訝そうな顔になった課長の目をしっかりと見据えて、茜は人差し指を立てこう言った。

「私はそういう時は『おねえさん』を使っています。『おねえさんとのお約束をちゃんと守ってね』って」
「あぁ、なるほどねぇ…」

 課長はポケットから煙草を取り出し、吸ってもいいかと茜に示してから火を点けた。

「でも、その話と『婦警さん』とどんな関係があるんだい」そして、紫煙を吐いた。「『おねえさん』って言ってるなら別に婦警が女警に変わっても子どもたちに対しては影響ないじゃないか」
「…今のところは、ですね」
「ん?今のところ?」
「そうです、今のところは…です。でも将来的に『婦警』って言葉がなくなるのはやばいんですよ」
「?」

 首を傾げた課長に話す茜の声が1オクターヴ低くなった。

「―交番の中でたったひとり、慶子先輩だけは、子どもに対して自分のことを『婦警さん』って言っています」
「ほぉ…」
「わかります?」
「わかるって何が?」
「んもー、鈍いなぁ課長。ちゃんと考えてくださいよ。慶子先輩が『婦警さん』を使う理由を…」
「あぁ、そりゃぁ、本人も言っていたんだけどさ、彼女は『婦警』って言葉に馴染みがあるからその言葉を使ってるんだろう…『おねえさん』じゃなくて…」

 そこまで言った課長の顔が瞬時に蒼ざめた。煙草を挟んだ指先が細かく震えはじめた。乾いた唇が微かに動いて、ある一言を口の中で小さく呟いた。

「―慶子クンは…もう『おねえさん』じゃない…」

 蒼白の表情となった課長に顔を寄せ、今までよりもさらに密やかな声で茜は言った。

「『婦警』って言葉がなくなったら『おねえさん』じゃない年齢になった時、ほかに自分を表現する言葉がありますか?」
「ぅあぁ…そ、それは…んー…『おばさ…』う!」

 背中に汗をかいていた。静かに顔を上げ地域課のオフィスを見渡すと、ベテラン婦警のひとりがこちらを見ていた。背中の汗が急激に冷めたくなっていく。ぶるりと身体が震えた。
 言葉を失った課長に、茜は声のトーンは抑えたまま力強い口調で言った。

「これは全国のすべての婦警に課せられた重要な問題ですよ。誰がなんと言おうが婦警という言葉を無くしてはいけません。むしろ積極的に使いつづけるべきです」
「―うむ、よくわかった。『婦警』という言葉は大切に守りつづけるべきだな。よしよし」

 課長も力強い眼差しで茜を見た。

「本部長は『婦警』という言葉を『女性警察官』や『女警』に言い換えろと言ったが、当の本人たちにとってこれほど重大な問題を孕んでいるとは私も気が付かなかったよ」

 課長はそう言いながら、ううむこれは言葉狩りだ逆差別だ官僚制の歪みだ思考停止だ事なかれ主義だファシズムだ、などとブツブツと呟いた。そして、茜の方を向いて胸を張って言った。

「安心しなさい。今度、本部長に会った時に、私からガツンと言ってやるから」

 ―ん、無理無理。課長が本部長に意見するだなんて絶対ありえないから…と、茜は喉まで出かかった台詞を当然グッと堪えて、そして当然ゴクリと呑み込んだ。


 さて、数日後、県警本部を訪ねる事になった東署地域課々長は胸に熱い思いを秘め、意気揚々と本部長室のぶ厚いドアをノックした。
 だが、当の本部長様を目の前にして、課長も喉まで出かかった台詞を案の定グッと堪えて、そして案の定ゴクリと呑み込んでしまったのであった。


  -おしまい-




2006/09/15

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