官 
  Honky Tonk Policewomen


第008楽章 オン・ステージ

♪〜出囃子。
 緞帳が下りたままの舞台。
 上手より緞帳前に婦警制服姿の羽田瑞枝巡査長と松井茜巡査が登場。
 観客に元気よく挨拶。

ふたり
「どもー!」
瑞枝
「しっかし、茜ちゃん、世の中、大変な事になってるらしいね」
「ぬぉー!瑞枝姉さん、そらオオゴトやないの!」
瑞枝
「まだ、なんにも言うてへんがな!」
「―言うてないんかい!ほんなら、はよ言ぃいな!何やねん、そのオオゴトゆうんは」
瑞枝
「ここだけの話やけどな…」
「(客席を見回し)ここだけって、姉さん、みな聞いてるがな!」
瑞枝
「そぉいう事を言いないな!―話が進まへんやん!」
「わかったわかった。―しゃぁない。ここだけや、そういう事にしたるわ。―じゃ、聞いてやるから話してみ」
瑞枝
「あのなあ、茜ちゃん。前から言おう言おう思っとったんやけどな、あんたの、そーゆー言い方は、アカンで」
「ええからええから、細かい事はええから。―聞いてやるから話してみ」
瑞枝
「その言い方がアカン言うてるやないの…直しいな!」
「―直すって、なら、どう言うたらええのん」
瑞枝
「聞いてやるって、なんか恩着せがましいやんか。だから、せやのうて、例えば『聞かせてぇな』とかあるやんか」
「お、言われてみれば、せやねぇ…」
瑞枝
「やろ。その方が話す方も気持ちええがな」
「―で、能書きはええから、そのオオゴトちゅうのを聞いてやるから話してみ」
瑞枝
「ぅらぁーっ!」
「ひぇぇぇ!じゃじゃじゃぁ、そのオオゴトっちゅうのを…きっ・き・聞かせてぇな」
瑞枝
「ん、しゃぁない。そんなに聞きたいなら、話したろ」
「おっ…おのれが恩着せがましいんじゃい!」
瑞枝
「―って、やめさせてもらうわ!」

 ふたり、観客に深々と礼。
 茜、慌てて顔を上げる。

「―って、お・終わったらアカンがな!始まったばっかりやんか!」
瑞枝
「せや、まだ本題のホの字も言うてへんがな」
「しっかりしいや、姉さん」
瑞枝
「お前がな!(と、茜の頭を叩く)」
「ぅぎぎ…(と、堪えて)じゃっ…じゃぁ、姉さん…そっ・そのオオゴトちゅうのを…き・聞かせてえな…」
瑞枝
「うんうん。―あのな、茜ちゃんは『体感治安』って聞いた事あるやろ」
「当たり前やん。私かて警察官やもん」
瑞枝
「その体感治安がな悪化してるんやて」
「わかるわー。治安のいい世の中にせなあかよなー」
瑞枝
「でも、よく考えてみ」
「は?」
瑞枝
「治安の悪化やのうて、体感治安の悪化やで」
「ん?」
瑞枝
「せやから、『体感治安』て言葉の意味を考えなアカンのよ。『体感治安』は単なる『治安』とどう違うん?」
「う…!う・うーん…」
瑞枝
「答えぇや!―はよ、答えぇや(と、平手で茜の頭をパシパシと急かすように繰り返し叩く)」
「ぐぐぐっ!―たっ体感治安は、か・かっ体…、ん、いや…こっ心で感じる治安の状態や!な!―そやろ、姉さん」
瑞枝
「ハイハイハイ…。じゃ、体感治安の悪化って、どういう事なん?」
「そ・そりゃぁ、治安が悪うなってるって心で感じてるって事とちゃうんか?」
瑞枝
「うん、まぁ、そんなトコや。―じゃぁな、なんで治安の悪化って言わんで体感治安の悪化って言うと思う?」
「そっ、そ・そりゃぁ、実際の治安は悪化してへんからちゃうんか…。―ん?…え?―あれれ?」
瑞枝
「あれれって言わんでも、正解やで、茜ちゃん」
「え?」
瑞枝
「え…やないがな。治安は悪化してへんから、体感治安の悪化って言葉が使われてるんや!」
「ほへ?」
瑞枝
「体感治安ちゅうのはね、東京言葉で言うとな…」
「うん」
瑞枝
「―なぁんか治安が悪化っぽくない?…治安悪化的っていうかさぁ…治安悪化って感じぃ…みたいな」
「ぅらーぁー!(と、瑞枝に蹴りを喰らわす)」
瑞枝
「あ痛たたたたたたたた!いっいきなり何すんねん!」
「腹立ったんじゃ!―何か知らんけど腹が立ったんじゃ!」
瑞枝
「何やねん!何に怒っとんねん!」
「東京弁で言われてもなぁ、危機感も説得力も、ぜんっぜんないんじゃ!」
瑞枝
「せや、その通りや。説得力ゼロですな」
「へ?―今のトコ、返すトコ違うん?―せやのうてな…って」
瑞枝
「いんや。茜ちゃんの感想が正しいんや」
「ふへ?」
瑞枝
「『体感治安の悪化』とな『治安の悪化』は違うんよ」
「へ?―そ・それ、どういう意味やのん?」
瑞枝
「考えてみ。ホンマに治安が悪化してたら『体感治安』なんて言葉、わざわざ使わへんがな」
「あ!」
瑞枝
「『体感治安』って言葉はな、どこぞの誰かが勝手に作った言葉やからな、そこには何の根拠もないんよ」
「そんなん詐欺やがな!」
瑞枝
「まぁ安心しいや。本当は治安は悪化してへんのやから。せやさけ治安が悪化してるて不安に感じる必要は一切ないねん」
「でもなでもな、こういうトコで(と客席を見回し)こういうコト言うたらなんなんやけどな」
瑞枝
「言うてみ、いいから、言うてみ」
「(悩みながら)―け・警察のな…検挙率って…昔に比べて下がってるって言うやんか」
瑞枝
「せや」
「―み・瑞枝姉さん、せや―やのうて、否定してえな!―んな事あらへんて」
瑞枝
「検挙率が下がってるのはホントやもん」
「な・なら、治安が悪いって事やんか!『体感治安』とか言葉の問題やないやんか」
瑞枝
「いんや、ちゃうねん。―よう聞きいや、茜ちゃん」
「う・うん」
瑞枝
「下がってるのは検挙率やろ、りつ…」
「せや」
瑞枝
「率…て事はな、分母と分子があるやろ…」
「いっ・いきなり数学かい!」
瑞枝
「そんな難しいモンとちゃう。数学やのうて算数や、さ・ん・す・う。わかるか?」
「さ・算数なら、わ・わかるわい」
瑞枝
「―そもそも検挙率って何や、茜ちゃん」
「そっ、それはな、犯罪のうちどれだけ検挙できたかって割合やん。分母は何て言うたかな…ホラ…」
瑞枝
「刑法犯認知件数…やろ」
「そや、それや!―認知件数!」
瑞枝
「で、分子は?」
「ぶぶぶぶ・分子は、けけけけ・検挙数や」
瑞枝
「うんうん。でな、検挙率が低くなった理由いうんはな、分母の刑法犯認知件数が増えたからなんや」
「ぬおー!そ・それはオオゴトやないの!」
瑞枝
「ホラホラ…慌てないな。分子の検挙数は大きな変化はないんやから」
「な・何、のんきなこと言うてるの、姉さん!犯罪が増えてるならオオゴトやないの!」
瑞枝
「あのな、認知件数の増加には理由があるねん」
「理由?」
瑞枝
「せや。まずはな新しい法律ができた事や」
「法律?」
瑞枝
「ストーカーやドメスティックバイオレンスとかをな、犯罪として取り締まることが出来るようになったんよ」
「え?―そ・それ、当たり前の事ちゃうんか?」
瑞枝
「それがちゃうんよ。以前はな、そういうゴタゴタはな、民事っちゅう事で犯罪の認知件数にカウントされてなかったんや」
「ん、警察学校で習った民事不介入の原則ちゅうやつかいな」
瑞枝
「そうそう。でも、今はな昔と違って、万が一の事態になる前にな警察が介入しやすくなったんや」
「んー。そういう風に考えれば…ええ事なんかなー?」
瑞枝
「そしてな、犯罪の認知件数が増加したもう一つの理由がな…」
「ん?もう一つ理由があるのん?」
瑞枝
「あるんや。―それはな被害届の受理件数が増加した事や」
「ほへ?―受理件数の増加って何?」
瑞枝
「あのな、これは私らの仕事にも関わってくるんやけどな、例えば女性被害者の相談ってあるやんか」
「あるある」
瑞枝
「痴漢とか強制わいせつとか強姦…そういうのな、泣き寝入りしてた被害者って、今まで多かったと思うんよ」
「うんうん」
瑞枝
「そういう人たちがな、勇気を出して事件として訴える傾向がな、増えてきた」
「おぉ!―せやねえ!私たちみたいな同性の窓口があってこそやね!エッヘン!」
瑞枝
「威張りなや!ホンマにわかっとんのかいな、このコは…」

 ここで、茜はおもむろにポケットから眼鏡を取り出し、かける。

「んー、つまりや…瑞枝姉さんの話をまとめるとな」
瑞枝
「(眼鏡をかけた茜を小馬鹿にしたように)なんやねん…言うてみい」
「治安悪化の根拠として一般的に捉えられている、犯罪の増加やそれに伴う検挙率の低下はな…」
瑞枝
「(ハキハキと答えはじめた茜に戸惑いながら)おっ、おう…」
「…社会的な治安情勢の実質的な変化やのうて、実は犯罪の顕在化の問題に過ぎんっちゅうこっちゃな」
瑞枝
「ぅお!―い・いきなりキャラ変わっとるで!」
「今まで諸般の事情で非顕在的だった犯罪も、法の整備や啓蒙などの努力で顕在化するようになったっちゅうね…」
瑞枝
「(感心しながら)そ・そうそう」
「やから、問題は、幻想としての治安悪化に怯える事やのうてね…」
瑞枝
「ぅ・うん…」
「顕在化された犯罪に対して、今後、具体的にどう取組んでいくかっちゅうね…」
瑞枝
「せや!せやがな、茜ちゃん!私が言いたい事、わかってくれたかあ!(と、感動して茜に抱きつく)」
「あ痛たたたたた。そんなん強う抱きついたら痛いがな(と、瑞枝を払いのけようとする)」

 この時、勢い余って茜の眼鏡が床に落ちる(テグスなどを使い効果的なタイミングで落すこと)

ふたり
「(落ちた眼鏡を見て)あ!」
「(キョトンとして)で…なんやったかいな?何やら深刻な話をしていたような…(と、首を捻る)」
瑞枝
「アカン。普段の茜ちゃんに戻りよった」
「ななな・何やその言い方は!しししし・失敬な!普段の私じゃアカンのか!普段の私じゃ、やりにくいんかい!」
瑞枝
「いやいや。そんなに怒りないな。却って普段の茜ちゃんの方がやりやすいがな。ボケ・ツッコミがハッキリして…」
「うぐ!…誉められとんのか貶されとんのか複雑やなあ…」
瑞枝
「で、実際には治安は悪化してへんちうのは理解してもらえたよな」
「まあね。でも、犯罪被害があるんなら何とかせなアカンがな」
瑞枝
「そうそうそう、問題はそこやねん」
「問題?」
瑞枝
「あのな、今な、警察は微妙な立場にあんねん」
「びみょう言われたかて、地道に捜査して一個一個事件を解決するしかないやん」
瑞枝
「やろ。そう思うやろ。でもな、検挙率が低うなったのは警察の能力の低下や思う人がおんねんで」
「そんなん言うても、検挙率の低下には理由があるんやから、私らやるべき事、きちんとやり続けるしかないやん」
瑞枝
「うんうん。でもな、そのやるべき事を見失ったらアカンやろ」
「見失うって、何が?」
瑞枝
「あのな、検挙率が下がったからゆうて、無理して検挙率上げるちゅうのはちゃうやろ」
「ん?―無理して?少しばかり無理してでも検挙率が上がるのはええ事ちゃうんか。捜査のためなら残業ぐらいやるで」
瑞枝
「いやいやいや。そこんトコ、無理の意味がちゃうねん」
「意味がちゃう?」
瑞枝
「せや。数字の上で帳尻合わせようとしたらアカンやろって事やがな」
「ほへ?―姉さんが言いたい事ようわからんなあ」
瑞枝
「ええか、よう聞きいや。犯罪認知が即検挙に繋がるとするケースがあるとするやろ」
「また難しいコト言いよるなあ」
瑞枝
「黙って聞きいや。10件の犯罪のうち5件の検挙で検挙率50%や」
「(瑞枝の話を聞きながら両手を広げ、その片方を閉じる)うんうん、わかるわかる。半分解決や」
瑞枝
「さて、さらに5件の犯罪が起きて、その全て5件とも検挙できました。ほな検挙率はどうなる?」
「う!指足らへんがな!(と靴を脱ごうとする)」
瑞枝
「こらー!足まで使わんでええがな。手え貸したるがな(と茜の横に開いた片手を添える)」
「うーん…15件のうち10件検挙でやな…」
瑞枝
「うんうん」
「わっ・割り切れんっ!」
瑞枝
「だーっ!―66っ!66.66666…で約67%っちゅう事やがな」
「おー、さすが姉さんやねー。5割の検挙率が7割近くになるわけかいな」
瑞枝
「せやせや」
「でも、今まで5割やったんやから、姉さんの片手、新しく起きた5件の犯罪がやね、全件検挙っちゅうのは無理あるで」
瑞枝
「そう思うやろ。でもな(と、開いた片手を強調するように前後に振る)この全件検挙が可能になるからくりがあるんや」
「からくり?」
瑞枝
「犯罪認知件数イコール検挙数。それが職務質問による検挙や」
「職務質問?」
瑞枝
「例えばな、職質かけて手荷物検査するやんか。でカッターとかハサミとか出てきたら軽犯罪法違反で引っ張れるやろ」
「お!そうやね!」
瑞枝
「しかも、何も出てこんかってもな、それが犯罪認知件数にカウントされるリスクはないわけや」
「おー、せやせや!ご協力ありがとうございましたで、しまいやもんな」
瑞枝
「やからな、道行く人々にガンガン職質かけてやね、叩いて埃が出たら、片っ端からしょっ引くんよ。うふふふふ」
「なるほどー。そうすりゃ、検挙率がグングン上がるわなー。けけけけけ。いいコト聞いたわー。うえけけけけけけ」
瑞枝
「検挙率が低い無能警察とか言うてる奴らに目にもの見せてくれるわ。明日から絨毯爆撃で職質じゃ!ぐひひひ」
「うえへへへ…。(―と、突然、我に返る)アカンがな姉さん!そういう職務質問はアカンがな!」
瑞枝
「なにがアカンねん!」
「ひ・人を疑うのも警察の仕事のうちやけどな、そこまで行ったらアカンて!」
瑞枝
「甘ったれんなや!体感治安の悪化じゃ!道行く奴らは、皆、犯罪者予備軍じゃ!」
「ちゃ・ちゃうやろ!―た・体感治安の悪化に根拠がない言うたのは姉さんやんか!」
瑞枝
「やかましい!先輩の私に逆らうんかい!上がクロ言うたら白いモンでもクロじゃ!」
「カッチーン!何言いやがる、この垂れ目が!―アンネの日記とか読んだことないんかい!」
瑞枝
「なんじゃこのガキ!アンネがどうしたんじゃ!言うてみい!」
「うちかて、そのくらいの教養はあるわい!アカンやろ、変な職質は!―ユダヤ人を迫害したナチスと変わらんやんか!」
瑞枝
「それがどうした!犯罪抑止がこちとら警察の仕事じゃ!」
「ちゃうて!そこまでの権限はないって!」
瑞枝
「なあにを根拠に天下の警察様に権限がないだのと言いやがる!」
「こ・根拠って、警職法やがな!警察官職務執行法に書いてあるがな!犯罪の疑いのない市民に職質できひんて!」
瑞枝
「(冷静になり)うん。合格や、茜ちゃん、合格や」
「あれれ、姉さんが普通に戻りよった」
瑞枝
「な。数字だけ帳尻を合わせようとしたら、こっちも出来んわけやないねん。でもな、やっちゃアカン事ってあるやんか」
「当たり前やん!法律違反を取締る警察がやね、違法行為はもちろん、法のグレーゾーンにも足突っ込んだらアカンがな」
瑞枝
「よう出来たな、茜ちゃん。一箇所を除いて、よう出来た」
「―ん?一箇所?私、何か間違った事、言うた?」
瑞枝
「うちの事、垂れ目、言うたやろ」
「う!ギク!…い・言うてへんで…言うわけあらへんで」
瑞枝
「い・い・ま・し・た(と、茜の両頬を指先で摘み横に引っ張る)」
「ひはひ、ひはひがな、ねへはん!ひうへへんへ、ひほひがな(痛い、痛いがな、姉さん!言うてへんて、ひどいがな)」
瑞枝
「上がクロ言うたら白いモンでもクロじゃ!」
「クァヒーン!ぬあにいひやがる、ほの垂れ目が!…あっ!」
瑞枝
「……」
「…あっ・あっ・あっ…でっ・でも、問題は垂れ目やないやろ!しょ・職務質問やったやろ!なっ、姉さん!なっ、な!」
瑞枝
「はっ!せやった!―う・うちとした事が…(と気を取り直す)」
「(掌で胸を大きく撫で下ろして)姉さんは道行く人に片っ端から職質したらええ言うたけど、やっぱ、それはアカンよな」
瑞枝
「ま、当り前や。―でもな、そういうの、やってるトコが、実は、あるらしいで…」
「ぬな!―ど・どこやねん!そういう馬鹿チン警察は!」
瑞枝
「まあ、私が知ってる限りではな、例えば…」
「例えば?」
瑞枝
「―警視庁」
「あちゃー。やっぱ東京モンかいな、そういうのは…」
瑞枝
「秋葉原ってあるやんか」
「おお!オタクの殿堂!」
瑞枝
「そこにはな、管轄外の隣の警察署からもなぜか職質に来てるらしいで」
「ブッ!な・なんでやねん!」
瑞枝
「何やろな。手前ぇの管轄の事件を100%解決した上での余裕の行動やったらな、わからんでもないけどな」
「確かになあ。―田舎の私らにとっちゃあ、そういう行動の意図がわからんねー」
瑞枝
「うんうん。東京モンの考える事はなー」
ふたり
「(声を合わせて)わからんなー」
瑞枝
「でもな、茜ちゃん。東京だけやのうて、地方も異常やねんで」
「ぬな!ヘンテコなのは東京モンだけやないんかい!」
瑞枝
「せやねん。これから話すんは全国的な現象なんやけどな…」
「に・日本中かい!」
瑞枝
「そうそう。『安心・安全のまちづくり』ってキーワードでな、防犯のアウトソーシングが進んでるんよ」
「へ?―あ・あうと…何?」
瑞枝
「アウトソーシングや」
「欧米か!(と瑞枝の頭を勢いよく叩く)」
瑞枝
「……(無言のまま、叩いた茜をじっと見る)」
「ま…そろそろ流行語やなくなるやろから、今のうちにってな…。ぉぅべぃか…なんちて(と、今度は遠慮がちに瑞枝を叩く)」
瑞枝
「…(まだ無言で茜を見続けている)」
「(急に誤魔化すようにして)あっ、アレやろ、地域防犯ボランティアっちゅうのが、そのアウトソーシングなんやろ」
瑞枝
「ふうん。わかっとってツッコンだんや…」
「で・でもな、地域防犯ボランティアは、別に悪い事やないやんか!」
瑞枝
「まあな…」
「まあなって姉さん、冷たい言い方やなあ…。地元の人たちの善意やんか!」
瑞枝
「そう思うんか。茜ちゃんは本気でそう思うんか?」
「お・思うで。地元の人たちの善意は無駄に出来んし、それが警察活動の支えにもなってるがな!ありがたい事やがな」
瑞枝
「ホンマか?」
「ほ・ホンマかって…。じゃぁ、ちゃうんかいな、姉さん!あんまりケチつけるとボケ役の私でもしまいにゃ怒るで!」
瑞枝
「さっき、職務質問の話した時、茜ちゃん、怒ったよな。アンネ・フランクの日記を例に出して…」
「んん…確かに、怒ったで。だってな、罪のない人を疑ったらアカンがな」
瑞枝
「でもな、今、全国に広がってる地域防犯てな、一歩間違うと、罪のない人まで疑ってしまう危険があんねん」
「そんなアホな!」
瑞枝
「んー。ほな、今度は大阪の出来事を話したる」
「関西かいな」
瑞枝
「警察のサイトで不審者情報を提供してるのは知ってるやろ」
「知ってる知ってる。会員登録したらメールでも配信してくれるやつやろ。小さなお子さんを持つ保護者は大助かりや」
瑞枝
「でもな、大阪府警がやってる不審者情報の中にな、児童に対する声かけ事案としてな…」
「う・うん」
瑞枝
「小学校低学年の女子に『こんなところで、うろうろしてたらあかんで』って男性が話しかけたっていうのがあったんよ」
「へ?」
瑞枝
「話しかけた時間は5月の夕方6時。なあ、茜ちゃんはこの人が不審者て思うか?」
「…というより、いい人ちゃうんか?このご時世に人様の子どもに注意できる人はそうおらんで」
瑞枝
「やろ。―でもな、そういうケースが不審者情報として公開されたんは、地域防犯が排他的な傾向にあるっちゅう事やで」
「ハイタテキケイコウ?」
瑞枝
「せや。自分たちの社会の中に理解不可能な存在がある時にやね、それを排除しようっちゅう考え方やね」
「そ・それがどう危険なん?」
瑞枝
「あのな、茜ちゃんは、今、独身寮に住んどるから気付かへんやろけどな、うち、寮出て部屋借りてるやん」
「うんうん」
瑞枝
「うちらの仕事、不規則やから帰宅が深夜になったり朝方になったりするやろ」
「うんうん。―姉さんの朝帰りは仕事のせいばかりやないけどな…」
瑞枝
「ていっ!(と、茜の尻を蹴り上げ)黙って聞けや!」
「ハ・ハイッ!い・いつも遅くまでお仕事ご苦労様です!(と敬礼)」
瑞枝
「で、ある日の朝方に帰ってきた時な、ゴミ出し場のトコで近所の奥さんたちが立ち話しててな…」
「井戸端会議やね」
瑞枝
「せや。それで、こっちをチラッと見て慌てて目ぇ逸らしよった。あれは、絶対、うちの悪口言うとったんじゃ!」
「姉さん、それは被害妄想やろ」
瑞枝
「被害妄想やない!あれは朝帰りしたうちの悪口じゃ!そうに決まっとる!」
「落ち着きって…落ち着いてや、姉さん」
瑞枝
「(突然、冷静になる)と、こういう風な傾向がなエスカレートする可能性があんねん。―な、アカンやろ」
「うーん、確かに、周りと生活のリズムがちゃうゆうだけで後ろ指さされるんは辛いやね」
瑞枝
「つまりは、地域で暮らす人たちの仲間作りやのうて、仲間はずれを作って見張る傾向があんねん」
「チクりやなあ…告げ口やなあ」
瑞枝
「アンネ・フランクの時と今の日本は同じやろ。自分より立場の弱い仲間はずれを作って安心したいねん。いじめと一緒や」
「うう。なんや悲しいなあ」
瑞枝
「仲間はずれを見張ろういうて街中にカメラがボコボコ増えてるやろ。監視社会やでえ…怖いでえ…」
「ん、まあ、カメラは防犯用やから、ええんちゃうんか?」
瑞枝
「防犯カメラ言うたかて、銀行の中やらお店のレジを撮影してるだけやないでえ…」
「ありゃ?そ・そうなん?」
瑞枝
「商店街やら、駅前やら、公共の場所もガンガン監視されとるんやでえ…」
「で・でも、ぼ・防犯のためなら仕方ないがな…だって」
瑞枝
「ん?何が『だって』なんや…」
「―だって、治安が悪く…あ!」
瑞枝
「言うたやんか、治安は昔と比べてちっとも悪化してへんって」
「う!せやった!なぜか悪化しとると感じとるだけやった」
瑞枝
「これが『悪化してると感じさせる』プロパガンダやったらもっと怖いでえ…」
「うわ!―あわわわわ…じゃ、ど・どうしたらええのん!うちら、どうしたらええのん?―おっ、教えてえな、姉さん!」

 瑞枝、床に落ちている茜の眼鏡を拾い上げる。

瑞枝
「(茜に眼鏡をかけながら)それはな、人に教わるんやのうて、ひとりひとりが考えていかなアカンねんよ」

 今までオロオロと慌てていた茜、眼鏡をかけられて急に冷静な表情になり客席に向き直る。

「―と、このように、治安における特定の解釈が精査されないまま社会一般に広く受け入れられてしまった結果、現在の日本社会は、かつてのファシズムが通った不幸な轍を再び歩もうとしています。この著しい錯誤を原因とする過ちは、地域共同体におけるマイノリティ排除という方向に進んでいます。この少数派を排斥するという考えは、あらゆる価値観が多様化している現代社会…つまりは少数派の集団によって社会が構成されている現代の日本にとっては、大多数の人々を、治安維持という大義名分の下に弾圧する危険性を孕んでいます。では、そのような危険を回避するために我々は何をすべきなのか。地域コミュニティが少数派の排斥ではなく受容へと向かい、共同体構成員のひとりひとりの価値観を互いに認め合う社会を確立するために我々は何に学ぶべきなのか。その時に、思い浮かぶのが、身体的な障害者の社会参加を促進させるべく提案された『ノーマライゼーション』や『バリアフリー』という概念です。(次第に話し方が熱を帯び、アジテーションに近付いていく)肉体的差異の克服に費やされた努力を、今、我々は、精神的差異の克服に向けて活かさなければならなあい!万国の少数派、団結せよ!今、共闘の時は来たれり…」

 瑞枝、慌てて茜を後方に押しやり、舞台中央のマイクスタンドからマイクを外し自分の手に取る。
 (後方に移った茜は、興奮した様子のままアジ演説を生声でつづける)

瑞枝
「(強張った笑顔で)えー、おっ、お後がよろしいようで…。警察音楽隊の演奏の準備も整ったようです。えと、い・一曲目は『世界で一つだけの花』です。この曲は皆さんご存知のSMAPの歌で、メンバーの一人である稲垣吾郎さんは、かつて駐車違反で取締られた折、現場からの逃走を図り、それを制止しようとした婦人警官に怪我を負わせ逮捕されたという前歴があります。さらに、作詞・作曲の槇原敬之さんにも覚醒剤取締法違反で逮捕された前科があります。しかしながら、私たちはこの曲に込められたメッセージ…つまり音楽的価値を認め、様々な機会に演奏させて頂いております。偏見という名の壁を越えて互いを認め合う事の素晴らしさを、音楽隊の演奏とカラーガード隊の演技を通して感じて頂ければ幸いです。それでは、お楽しみください。『世界で一つだけの花』…」

 茜と瑞枝の背後にある緞帳が上がり音楽隊の演奏がはじまる。
 ふたりは舞台下手へと静かに退場。


―以上が、松井茜巡査によって書かれた、地域防犯イベントのステージ用台本(初稿)である。


  ―おしまい―




2007/08/22

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