婦人警官 四重奏 |
Honky Tonk Policewomen |
第010楽章 Quiz Day Afternoon 東署地域課の昼休み。課長の席に茜がやって来て訊ねた。 「課長、マッチを持ってませんか」 「ん、マッチ?一体、何に使うんだい」 そう言って首を傾げながら、課長はポケットから煙草のパッケージを取り出すと、その中に入れていた百円ライターを茜に差し出した。 「課長、これはライターじゃないですか。私が借りたいのはマッチですよ、マッチ」 「え。火を借りに来たんじゃないのかい」 「火じゃないですよー。マッチをお借りしたいんです」 そう言われ、課長は慌ててデスクの引き出しを開けて中を物色しはじめた。 「マッチねえ。最近はあまり使わないからなあ。―と、あったあった」 引き出しの奥に見つけたスナックのロゴが入ったマッチ箱を取り出し、中身があるかどうかを振って確かめながら、課長はそれを茜に渡し、そして、怪訝そうな顔で訊ねた。 「ところで茜ちゃん、マッチで何をするんだい」 「クイズですよ。クイズに使うんです」 「クイズ?」 「課長も挑戦しますか、マッチ棒のクイズ」 「ほお、面白そうだな」 「課長にクイズが解けますかねえ」 マッチ箱を受け取った茜は、にやけ笑いを浮かべてそう言うと課長のデスクを後にした。課長は茜の背中に「なにおう」と言って立ち上がり、彼女の後を追った。 地域課の隅には、パーティションで囲まれた応接セットがある。しかし、ソファもテーブルも古く、応接セットというよりも簡易的に設えた来客スペースといった趣きだ。そもそも客の少ない地域課にはその程度で充分であり、そしてまた、この時間には地域課の婦警たちが昼休みを過ごす場所として重宝してもいた。 課長が茜に追いつき、来客スペースを覗き込むと、そこには昼食を終えた慶子がいた。 「アラ、課長も付き合ってくださるんですか」 課長の顔を見て慶子が笑った。 「あ、まあ、いや、茜ちゃんがどうしてもクイズに挑戦してくれって頼むものだから仕方なく…ね」 コラコラそこまで頼んでねーよ、と茜は心の中だけで悪態をつきながら課長を横目で見た。しかし課長は茜の視線に気付くことなく、慶子に向かって照れ笑いで頭を掻いていた。 「ハイハイハイ…じゃあ、はじめますよ」 茜はマッチ箱の中身をテーブルの上にひろげた。箱の中には二十本ほどのマッチ棒が入っていた。茜は、その中から四本のマッチを取り、残りのマッチ棒を半分に分けて、それぞれの束を慶子と課長の前に置いた。そして、四本のマッチ棒で正方形を作った。 「これは漢字の『口(くち)』です。では、マッチ棒を一本くわえて別の漢字を作って下さい」 「ん?―こういう事?」 と、即座に慶子が反応した。 彼女は自分の前に置かれたマッチ棒から一本を取って、正方形の中央を横切るようにそれを置いた。 「これで『日』になるでしょ。日曜日の『日』」 「ピンポーン!正解です!―さっすが慶子先輩!」 「―ていうか、簡単すぎない?―これでもクイズなの?」 拍子抜けした表情で慶子が茜に言った。 「いやあ、これは単なるウォーミングアップですよ。ここからが本番なんですから、てへへへへ」 慶子と課長にそう言いながら、茜は「日」の真ん中のマッチ棒を外した。テーブル中央のマッチ棒は、再び四本の正方形に戻った。 「では、二問目!これは片仮名の『ロ(ろ)』です。では、マッチ棒を一本くわえて別の片仮名を作って下さい」 「ん、片仮名?―んんっ?」 茜の出題に慶子はテーブル上の四本のマッチ棒の「ロ(ろ)」を覗き込んだ。 課長も指先に一本のマッチ棒を持ち「うーむ」と小さく呟きながら首を捻った。 「…タ、かな?」 と、課長が正方形の角のひとつに接するようにしてマッチ棒を斜めに置いた。片仮名の「タ」にしてはあまりにも不恰好な形が出来た。 「ブッブー!」と茜の口が不正解のブザーを鳴らした。そして「これが『タ』ですかあ!―これのどこが『タ』ですかあ」と言いながら斜めに添えられたマッチ棒を課長に返した。 「むむむむむ」 茜に渡されたマッチ棒を口元に持ってきて課長は喉の奥で低く唸った。 「ああ、そうか!」 悩む課長を見た慶子が突然声を上げた。 「え!」 その声に、茜は思わず慶子を見た。 慶子は茜を見て「うふふ」と笑みを浮かべていた。そして、マッチ棒で出来た正方形の「ロ」をじっと見つめながらゆっくりと顔を近づけていった。 「ぎく」と、茜の肩が小さく震えた。 慶子は五本目のマッチ棒を加えるのではなく、正方形の一辺のマッチ棒を一本だけ取り去った。 そのマッチ棒を、唇に咥えて…。 テーブルの上に残された三本のマッチ棒が片仮名の「コ」になった。 「ホラ、一本『咥えて』片仮名の『コ』が出来たわよ」 「うげー!正解ですー!くやしー、もー!慶子先輩、何で簡単にわかっちゃうんですかー!」 正解が明らかになっても課長は目を白黒させていた。 「え?なに?―くわえるって口に咥えるなのかい?―だったら、先に言ってくれなきゃあ」 「アハハ、課長ったら。先に言ったらクイズにならないじゃないですか」 慶子が笑い、課長はしかめっ面になった。 「―ったく、最近のクイズときた日にゃあ…」 そう言いながら、課長は念仏を唱えるが如くぶつぶつと声にならない言葉を口の中で呟きつづけた。 臍を曲げた様子の課長を見て慶子が切り出した。 「じゃあ、次の問題は私が出しますね。茜の問題より簡単ですから、課長もきっと解けますよ」 そう言った慶子の手にはバッグから出した財布が握られていた。彼女は細い指先で財布のボタンを外して開き、札入れの部分から千円札を一枚、手品師のように鮮やかな手付きで引き抜いた。 「ここに千円札があります」と、慶子はテーブルの中央に紙幣を置いた。 幼少の頃、囲炉裏で手に大火傷を負った医学者の肖像があった。 「ふんふん」と言いながら、署長は前かがみになって卓上の札を覗き込んだ。 「鳥がいるんですよ、このお札には」 「ああ、そうだったね。裏に鶴の絵があったね」 慶子に頷きながら課長は紙幣を裏返した。―が、そこには鶴の姿はなく富士に桜の図柄があった。 「―ん?アレ?」 「鶴は前の千円札ですよ」 「あ、そうだったのか」 課長は、名の無き猫や親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている青年が主人公の物語を書いた作家を思った。 「このお札に隠れてる鳥を見つけてくださいね。―それが私のクイズです」 慶子がそう言うと、茜がテーブルの上の紙幣に瞳を近づけた。茜の眼球は皿になっていた。 「この細かい模様の中にいるんですかね」 「さあ、どうかしら」 慶子は茜の問いに笑って答えた。 「透かしは…」と、課長が卓上の千円札を取り蛍光灯にかざしたが、すぐさま「―違うか」と呟いて札を元あった位置に戻した。 「じゃあ、ヒントです。鳥はこちら側にいます」 悩む二人を一瞥した慶子は、札の裏側―つまり、肖像のない「NIPPON GINKO」と表記のある側―を上に向けた。 「むー」 課長も茜も前屈みになって千円札数センチにまで顔を近づけた。 紙幣に隠れた鳥を探そうとする二人の鼻先にあるのは、日本の印刷技術の粋を結集した作品のひとつだ。二人は、技術の粋の高度な到達点は芸術でもあると確信する。あらためて目にする紙幣のディテールはため息が漏れるほどよく出来ていた。 課長は今さらのように独り言を呟く。 「うーん、ニホンギンコーじゃなく、ニッポンギンコーなんだな」 ―が、鳥は見つからない。 「うへぇ、目がチカチカしちゃう」 茜が上半身を起こし、ソファの背凭れに身を委ねて諦めるように言った。 それを見た慶子は顔に笑いを浮かべて「じゃぁ、大サービス」と千円札を取って縦に半分に折り曲げた。「こちら側ですよ、鳥がいるのは」と彼女が表に向けたのは「富士と桜」の図案のある方ではなかった。「NIPPON GINKO」の「GINKO」が折り目の右側にあり、隣には三輪の桜の花が見える。その横には「1000」の数字があり、その下には課長も茜も今まで意識する事のなかった「YEN」の文字が見えた。 が、しかし、鳥は見えない。 課長が茜の方を窺うと、彼女はソファに凭れたまま、相変わらずのギブアップ状態だった。 「もー、見るのもめんどくさーい。鳥なんていません」 「よく見ればいるんだけどなあ…こちら側ですよ」 慶子はそう言って、半分に折った紙幣をさらに半分に折った。そして「1000YEN」の数字が見える側ではなく「GINKO」が見える側を表にして卓上に置いた。それを見た課長の口元が「への字」になった。 「おいおい、一番シンプルな場所じゃないか。ここに本当に鳥がいるのかね」 「いますってば」と、慶子は笑う。 「いませんってば」と、ソファに身を委ねたまま投げやりに茜が言った。 課長は「GINKO」の文字の下側にある植物のような図柄を指差した。 「まさか、この模様が鳥だというんじゃないだろうね」 慶子はクスクスと悪戯っぽく笑って課長を見た。 「あらあらあら、惜しかったですねー。その模様じゃないですよ。いやあ、一瞬、正解されたかと思いましたよ、うふふ」 「え?正解って、この模様の近くなのかい、鳥がいるの?」 課長はまたもや紙幣を凝視した。 「えっえっえー!このギンコーの文字の近くにいるんですか?」 ソファの背凭れに埋めた上半身を起こした茜が、課長を押しのけるように千円札を再び覗き込んだ。 「コラコラ、茜ちゃん!ギブアップしたんじゃないのかね」 「してませんしてません。どこでしょどこ?」 「あはは。銀行のローマ字の近くって言うよりもさ…。よく見ればさ、気が付くと思うんだけど」 「えー、この模様だって鳥っぽいですよ」 その時、課長が紙幣を見たまま言った。 「鳥って…もしかして…インコ?」 その問いに慶子は笑ったまま答える。 「あはは…インコ、見つかりました?」 「け・慶子クン…まったくもう!」 「でも、いたでしょう、インコが…。課長、ごめんなさいね、あははは」 「あれえ、慶子先輩、なに謝ってるんですかあ?」二人の会話に茜が怪訝そうな顔になった。「それにインコなんています?―お札に」 茜の言葉に、課長と慶子の時間が一瞬だけ静止した。 「あは…あはははは」 そして、慶子が柄にもなく爆笑しはじめた。 課長は千円札にある「GINKO」の「G」を隠すように指を置いて、茜に「ホラ、こう。インコが…ね、INKOが…」と囁いた。 やっと茜も気が付いた。 「げー!課長、そんなのずるいですよー」 「あ、コラ!痛い痛い痛い!上司を叩くんじゃないッ!それに問題を出したのは慶子クンじゃないか。落ち着きなさいって!」 「ハッ!」 我に返った茜に課長が言った。 「じゃあ、私もクイズをを出そう。ふたりに解けるかな?」 そう言って自信満々に軽く咳払いした。 「オホン!婦人警官がタクシーに乗ろうとしたら乗車拒否されました。さてなぜでしょう?」 先ず、茜が即座に答えた。 「んーとですね。―制服着てたから、お巡りさんはパトカーに乗れって言われたんじゃないですか」 「ブッブー!男の警官だったら乗車拒否はされないんだよ。婦警だからされたんだよ」 「えー、そんなの差別じゃないですかあ」 「ほらあ、差別とかそういうのじゃないから、答を考えて考えて…」 すると慶子が鋭い目で課長を見ながら口を開いた。その視線はナイフの刃のようで、言葉は冷たい氷のようだった。 「課長、お忘れかしら?」 「え?」 「もう、4年になりますかね…私が東署の交通に異動してきた時に、その問題…出して頂きましたけど」 「うっ!」 「思い出していただけました?」 「う・あ・あぁ…そ・そうだったっけ?」 課長が急にうろたえはじめた。 そのやり取りを聞いていた茜が二人に言った。 「あれ?じゃあ、慶子先輩は答を知っているんですか?」 「ん、まあね…」と慶子は茜に向かって微笑んだ。「―その時はさ、今の茜の答で正解だったんだけどなあ…。4年の間に答が変わったのかしら…ね、課長?」 そう言いながら課長を横目で見た。課長への問いかけの部分だけが氷点下の温度になっていた。 「あ、いや、んー、そ・そんな事はない…うん、そんな事はないっ!」課長は何度も首を横に振った。「べっ・別の問題の答と勘違いしちゃったかな。―うんうん。さっきの茜ちゃんの答で正解だな。うんうん」 「ほへ?」 「やっぱり、警察官の車といえばパトカーだよ、パトカー。タクシーじゃないよね、うんうん」 「へ?…???」茜の顔に大量の疑問符が湧き出ていた。「慶子先輩…一体どういうことなんですか?」 そう言って茜が向けた視線の先の慶子は、課長を睨んだまま腕組みをしていた。慶子の右手の人差し指が、左の二の腕の上でトントントンとリズムを取るように動いていた。 課長が急に腕時計に視線を落した。 「あっ!こ・こんな時間だ!」と、昼休み終了にはあとまだ15分ほどあるというのに、課長は突然立ち上がった。「きょ、今日はアレがあったんだ、アレが…」そう言いながら、立ち去ろうとしたが、何かを思い出したかの如く、パーティションの向こう側から応接セットの慶子と茜を覗き込むように振り返った。 「クイズに正解したから、今度の慶子クンと茜ちゃんが交番勤務の時は、何か差し入れるよ!ケ・ケーキとかどうかな?うんうんうん…」 そう言い残して課長はそそくさと姿を消した。 「ムッホー!めちゃくちゃ甘くておいしーい!」 若宮三丁目交番の午前三時。課長が差し入れてくれたケーキを頬張った茜が感嘆の声をあげた。二丁目にある人気洋菓子店のケーキだった。松井茜巡査は、えもいわれぬ幸福感にひたっていた。 もちろん、岡林慶子巡査部長もそのケーキを存分に堪能した。―が、その甘さは、茜が味わったものより、ほんの少しだけ苦かった。―なぜなら、彼女は「婦人警官がタクシーに乗ろうとしたら乗車拒否され」た理由を、つまり課長の出したクイズの本当の正解を知っているからだった。 ―無賃乗車になるから…無チン乗車に…。 ぶるり。 ストーブで程よく暖かくなっているはずの交番で、慶子の肩が、なぜか寒さに震えた。 ―おしまい― |
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2007/12/25 |
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