婦人官 屈
  part 16


 ヴヴヴヴヴ…。

 署長室にバイブレータの奏でる低い音が響いている。先ほどから微振動をつづけている岬の性器に埋没した男根状の物体は、彼女に痛みも快楽も与えない。肉体には不条理な感覚だけがある。
 その低い唸りを遮るように「シュボ」と音がしたあと、煙草の匂いが漂い、鮫島の靴が岬の顔面を離れる。

「立て!岬!」

 背後の声が命じたが岬は立ち上がらない。鮫島が彼女の前にしゃがみ込み、顔を覗き込むように首を曲げて言う。

「立てよ。署長様の命令だ。」

 鮫島の指は岬の目の前にあり、彼が好む強い銘柄の煙草の香りが鼻腔を襲う。思えば、鮫島の記憶はその匂いとともにある。―紫煙が眼に痛い。
 だが、さらなる痛みが岬に降りかかる。後頭部で纏めた岬の髪を、背後の署長が荒々しく掴み、上方に向けて勢いよく引っ張った。

「立て、と言っただろう!」

 春日署々長のその言葉は、苛立ちの怒りを表しながらも、奥深くに微かな笑みがあった。それは、嗜虐という名の笑みだ。
 髪を乱暴に扱われた痛みが、先ほどからスイッチが入ったまま岬の膣内で蠢くバイブレータの異物感をしばし忘れさせる。
 署長に強く髪を引かれ、両膝で床に立つ体勢となった岬の正面に、しゃがんで煙草を燻らせる鮫島の顔がある。彼は煙草を口元に残したまま、その手をズボンのポケットに入れ、そこからハンカチを取り出すと、両手で覆うように岬の顔を包んだ。

「岬、お前の美しい顔が台無しだ。」

 岬の顔の汗と唾液は彼女の乱れた髪を頬や額に醜く付着させ、この部屋の唯一の光源である署長用デスクにあるライトスタンドの灯りを反射して、まるで脂のように、鈍く輝いていた。
 静かに岬顔の表面を拭う手を拒否するように彼女は大きく頭を振って、鮫島の両手を振り払った。

「お…」

 鮫島が小さく声を上げ、彼の口元から煙草が絨毯に落ちた。彼は落ちた煙草を拾い上げるとその手を横に差し出した。部下の警察官の一人が素早くその手の下に硝子製の灰皿を置く。鮫島はその灰皿にまだ長い煙草を突き立てて火を消すと、指先にさらに力を込め、吸殻を捻りながら硝子表面に押し付けつづけた。

「おいおい、絨毯に焦げ跡が出来ちまったぜ…高いんだぜ、この絨毯。」

 そう言いながら彼の指先は吸殻を弄びつづける。茶色の煙草の葉が灰皿に拡がり、遂には、フィルター部分の淡いオレンジ色のペーパーまでが剥がれはじめた。フィルターが巻紙から乖離するのを待っていたかのように、その手は煙草を離れ、静かに岬の顎を掴んだ。

「なぁ、岬よぉ、人の親切は素直に受けるもんだぜ…」

 彼女の顔を正面に見つめながら、鮫島は相変わらずの笑みでそう言った。岬は再び顔を大きく振って、顎の手を振りほどき、さらに口の中に溜まっていた唾液を鮫島の顔面に向かって吐きかけた。

「ペッ!」

 鮫島の顔にかかったその唾は、ゆっくりと彼の頬を垂れ落ちていく。

「ふふ。嫌われちまったもんだなぁ、俺も…」

 鮫島は、落ち着き払った笑顔は崩さず、岬に視線を向けたまま、彼女の顔を拭おうとしたハンカチで、自分の頬の唾を拭き取った。  あくまでも冷静なその態度が岬の怒りに火をつけた。

「殺すなら、殺しなさい!今すぐ!もう、たくさんだわ!」

 そう叫びながら、岬は両手を手錠で繋がれたままの不自由な体勢で、鮫島に飛び掛ろうとした。―が、体が前に進まなかった。後頭部を激しい痛みが襲った。春日署々長に掴まれたままの髪が、岬の行動を制止させていた。

「聞き分けのない女だな…」

 署長はそう言いながら岬の髪を握った手に力を込め、乱暴に動かしはじめた。

「う!うぅ…」

 上半身の振幅に併せて短い周期で襲ってくる頭部の痛みに岬は上下の歯を強く噛んで耐えたが、喉の奥から微かな声が上がる。髪を掴まれ、上半身を前後に揺すられる岬を見ながら、今度は鮫島が言う。

「お前は、鎖に繋がれた犬みたいなもんだよ。お前の思い通りには決してならない。お前に出来る事は、飼い主に支配されることだけだ…」

 髪を引っ張られ揺れる頭のせいで、岬の目に鮫島の顔は上下左右に大きくぶれて映っている。彼の手には何か小さなピンク色のボックスが握られているようだ。
 鮫島の唇が静かに開いた。彼は白い歯を見せて笑う。ピンクのボックスの一部が、一瞬だけ赤く光った。―と同時に、彼女の陰部に挿入され、蠢動をつづけていた異物が静かに動きを止めた。

「…」

 岬には何が起こったのかわからなかった。

「最近の大人のオモチャってぇモンは面白いなぁ。色々な遊び方が出来る。」

 ボックスの赤いランプが再び赤く光る。同時にバイブレータの顫動が再びはじまる。

「もっと別の場所で、この遊びをお前に試したかったが、時すでに遅し―だな、ふふふ。」

 また、赤ランプが光ると、今まで低かった擬似陰茎の音色が高くなり、間欠的な響きに変わった。

「!」

 音の変化に伴って、岬の性器に挿入されたその異物の動きも変化した。バイブレータの根元を軸に陰茎部分が回転しはじめる。手動スイッチから離れた亀頭部分は、より大きな回転半径で岬の膣深部を撹拌する。

「あ・あ・あ…」

 突然、襲った予期せぬ刺激に岬は声を上げる。

「さぁ、立つんだよ。」

 岬が、バイブレータの回転運動に気を取られた瞬間を逃さずに、春日署々長が、彼女の髪を引っ張った。
 ふらふらと危うげな様子で無理やり立たされた岬を追うように、鮫島もゆっくりと立ち上がり、岬に話しかける。

「早く楽にしてやりたいが、そうもいかない。お前には、タップリと味わって欲しいんだ…」

 そう言いながらも、余裕のある話し振りとは裏腹に、なぜか彼の瞳だけが一瞬、翳った。その翳りを打ち消すかのように、鮫島は大きな笑顔を作りながら言葉をつづけた。

「絶望という名の苦しみを、な。」


  -つづく-


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