人警 鰐


Scene_009 若宮三丁目交番(夜)

慶子と瑞枝、小型デジタルカメラを接続したノートパソコンのディスプレイを見ている。
画面上には先程のパンクしたタイヤの画像が映っている。
タイヤを引き裂く平行な三本線。

慶子
「一体、なんなんだろうね…」
瑞枝
「鍬…じゃない…鋤っていうんですか。そういう道具ですかね」
慶子
「ん、いや、私が言ってるのは、単なる悪戯―愉快犯なのかなってコトなのよ」
瑞枝
「怨恨…ですか?」
慶子
「そうとまでは言わないけれど…何か意味深って思わない?―この傷跡」
瑞枝
「でも、被害者にも車種にも共通点はないんですよね」
慶子
「うん、まあそうね。―今のところ」
瑞枝
「悪戯以外に、何かあると?」
慶子
「わからない。それはわからないけど、なぜこんな傷のつけ方をするのかってさ」
瑞枝
「まあ、確かにパンクさせるだけなら、もっと簡単な方法が幾つもありますよね。ノミや千枚通しとか」
慶子
「うん。―でしょう。だから引っかかるのよ、何かが…」

腕組みをして考え込む慶子、自分の左手首に目を落とす。
慶子の手首のアナログ時計の針は4時半を回っている。
慶子、慌てて瑞枝に顔を向ける。

慶子
「いけない、こんな時間だわ。仮眠とらせてもらうわね。―私、明日も勤務なんだったわ」
瑞枝
「あ、すみません。休憩時間のこと気が付かなくて」
慶子
「謝らなくていいのよ」

慶子、瑞枝に微笑む。

瑞枝
「おやすみなさい」

瑞枝、慶子に小さな敬礼をする。

慶子
「おやすみ」

慶子、笑顔で瑞枝に小さな敬礼を返して交番の奥へと向かう。


Scene_010 若宮三丁目交番・給湯室

歯を磨く慶子、咥えた歯ブラシから手を離し、後ろで纏めた髪をほどき首を左右に軽く振る。
そして、制服のネクタイを緩め、ワイシャツの第一ボタンを外して、さらに眼鏡を取り流し台の脇に置く。
歯ブラシを咥えたまま髪を解き眼鏡を外した慶子の表情は、緊張が一気にほぐれた感じになる。
慶子、プラスティック製のコップに水を注ぎ、水道の蛇口を開いたままうがいをはじめる。

流し台の排水口に吸い込まれていく水。


Scene_011 排水口〜排水管内部

前シーンの排水口のアップを受けて、カメラはその排水口の奥へと移動していく。
狭く暗いパイプ内部を、ゴボゴボ・ジョロジョロといった効果音を伴いながら、カメラの視点は進む。
突然、狭い空間が一気に広がるが「暗い空間」は変わらない。


Scene_012 下水道

仄暗い空間に広がる水の波紋。
直径5メートルほどの円形をした下水道である。
そして、その濃いグレイの水面を這う暗黒の物体。
体長7〜8メートルに及ぼうかという巨大な鰐のシルエット。
蠢くようにゆっくりと前進する鰐。
前足が静かに浅い水面を踏む。

効果音
「ピチャーン(水音)」

鰐の指のうち三本の鋭い爪先から拡がる三つの小さな波紋。


Scene_013 若宮三丁目交番(夜)

前シーンの鰐の爪先の三つの波紋と、ノートパソコン画面のタイヤに付いた傷の三本線の起点がオーバーラップする。
パソコン画面を見つめる瑞枝、独り言を呟く。

瑞枝
「一体、なんなんだろう?」

そう言いながら、瑞枝、マウスをクリックする。
パソコン画面、タイヤの傷のクローズアップになる。
瑞枝、人差し指・中指・薬指の三本の指をパソコン画面上のタイヤの傷の上に置く。
そして、その三本の指がパソコン画面の上で傷をなぞるように動く。


Scene_014 ラブホテルの一室(回想)

突然のフラッシュバック。

暗い照明の中に浮かぶ男の背中に宛がわれている女の手。
その指先に力が入り、男の背中に爪を立てる。

男の声
「痛っ!―おい、ちょっと待てよ!」

男の背中から振りほどかれる女の指。
部屋の照明が少しだけ明るくなる。
男の背中には三本の平行なミミズ腫れが出来ている。

男の声
「おいおいおい、ちょっとぉ。爪の跡、残ってねえだろうなあ」

男の問いに答える女の声。
その声の主は、瑞枝である。
画面は「男女のシルエット」と「男の背中」のアップの二つのみで構成。

瑞枝
「あ、ごめんなさい、思わず…。痛かった?」
男の声
「ていうか、跡、残ってんのかよ?」
瑞枝
「―う、うん。ごめんなさい」

男の背中の傷を女の指の腹が優しく―そして、申し訳なさそうになぞる。

男の声
「チッ!―勘弁してくれよ…困るんだよな」
瑞枝
「困る?」
男の声
「ったり前だよ…そりゃあ。―うぁ!」

男の声が口ごもり、そして、瑞枝の声のトーンが冷たくなる。

瑞枝
「ふうん、そうなんだ…」
男の声
「あっ…や・いや、困らない。―ぃ痛かったから…思わず…さ。―お・怒ったわけじゃないよ」

慌てる男の声に、瑞枝の落ち着いた声が答える。

瑞枝
「―誰か別の人も見ちゃうんだ。あなたの背中の…この傷を」

男の背中にある三本の平行線の傷を瑞枝の指先が再びなぞる。
それは爪の先ではなく指の腹だが、今度は力強く男の背中に喰い込んでいる。


Scene_015 若宮三丁目交番(夜)

パソコン画面のタイヤの傷に添えられた瑞枝の指先。
その自分の指先をじっと見つめながら苦笑する瑞枝。

瑞枝
「つ・爪で…?―は・ははっ。―そんな…そんな馬鹿な…」

瑞枝、自分の想像を否定するかのように首を左右に振る。



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