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慶子と瑞枝、小型デジタルカメラを接続したノートパソコンのディスプレイを見ている。
画面上には先程のパンクしたタイヤの画像が映っている。
タイヤを引き裂く平行な三本線。
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| 慶子 | 「一体、なんなんだろうね…」
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| 瑞枝 | 「鍬…じゃない…鋤っていうんですか。そういう道具ですかね」
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| 慶子 | 「ん、いや、私が言ってるのは、単なる悪戯―愉快犯なのかなってコトなのよ」
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| 瑞枝 | 「怨恨…ですか?」
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| 慶子 | 「そうとまでは言わないけれど…何か意味深って思わない?―この傷跡」
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| 瑞枝 | 「でも、被害者にも車種にも共通点はないんですよね」
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| 慶子 | 「うん、まあそうね。―今のところ」
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| 瑞枝 | 「悪戯以外に、何かあると?」
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| 慶子 | 「わからない。それはわからないけど、なぜこんな傷のつけ方をするのかってさ」
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| 瑞枝 | 「まあ、確かにパンクさせるだけなら、もっと簡単な方法が幾つもありますよね。ノミや千枚通しとか」
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| 慶子 | 「うん。―でしょう。だから引っかかるのよ、何かが…」
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腕組みをして考え込む慶子、自分の左手首に目を落とす。
慶子の手首のアナログ時計の針は4時半を回っている。
慶子、慌てて瑞枝に顔を向ける。
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| 慶子 | 「いけない、こんな時間だわ。仮眠とらせてもらうわね。―私、明日も勤務なんだったわ」
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| 瑞枝 | 「あ、すみません。休憩時間のこと気が付かなくて」
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| 慶子 | 「謝らなくていいのよ」
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慶子、笑顔で瑞枝に小さな敬礼を返して交番の奥へと向かう。
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歯を磨く慶子、咥えた歯ブラシから手を離し、後ろで纏めた髪をほどき首を左右に軽く振る。
そして、制服のネクタイを緩め、ワイシャツの第一ボタンを外して、さらに眼鏡を取り流し台の脇に置く。
歯ブラシを咥えたまま髪を解き眼鏡を外した慶子の表情は、緊張が一気にほぐれた感じになる。
慶子、プラスティック製のコップに水を注ぎ、水道の蛇口を開いたままうがいをはじめる。
流し台の排水口に吸い込まれていく水。
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前シーンの排水口のアップを受けて、カメラはその排水口の奥へと移動していく。
狭く暗いパイプ内部を、ゴボゴボ・ジョロジョロといった効果音を伴いながら、カメラの視点は進む。
突然、狭い空間が一気に広がるが「暗い空間」は変わらない。
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仄暗い空間に広がる水の波紋。
直径5メートルほどの円形をした下水道である。
そして、その濃いグレイの水面を這う暗黒の物体。
体長7〜8メートルに及ぼうかという巨大な鰐のシルエット。
蠢くようにゆっくりと前進する鰐。
前足が静かに浅い水面を踏む。
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鰐の指のうち三本の鋭い爪先から拡がる三つの小さな波紋。
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前シーンの鰐の爪先の三つの波紋と、ノートパソコン画面のタイヤに付いた傷の三本線の起点がオーバーラップする。
パソコン画面を見つめる瑞枝、独り言を呟く。
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そう言いながら、瑞枝、マウスをクリックする。
パソコン画面、タイヤの傷のクローズアップになる。
瑞枝、人差し指・中指・薬指の三本の指をパソコン画面上のタイヤの傷の上に置く。
そして、その三本の指がパソコン画面の上で傷をなぞるように動く。
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突然のフラッシュバック。
暗い照明の中に浮かぶ男の背中に宛がわれている女の手。
その指先に力が入り、男の背中に爪を立てる。
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男の背中から振りほどかれる女の指。
部屋の照明が少しだけ明るくなる。
男の背中には三本の平行なミミズ腫れが出来ている。
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| 男の声 | 「おいおいおい、ちょっとぉ。爪の跡、残ってねえだろうなあ」
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男の問いに答える女の声。
その声の主は、瑞枝である。
画面は「男女のシルエット」と「男の背中」のアップの二つのみで構成。
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| 瑞枝 | 「あ、ごめんなさい、思わず…。痛かった?」
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| 男の声 | 「ていうか、跡、残ってんのかよ?」
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| 瑞枝 | 「―う、うん。ごめんなさい」
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男の背中の傷を女の指の腹が優しく―そして、申し訳なさそうになぞる。
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| 男の声 | 「チッ!―勘弁してくれよ…困るんだよな」
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| 瑞枝 | 「困る?」
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| 男の声 | 「ったり前だよ…そりゃあ。―うぁ!」
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男の声が口ごもり、そして、瑞枝の声のトーンが冷たくなる。
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| 瑞枝 | 「ふうん、そうなんだ…」
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| 男の声 | 「あっ…や・いや、困らない。―ぃ痛かったから…思わず…さ。―お・怒ったわけじゃないよ」
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| 瑞枝 | 「―誰か別の人も見ちゃうんだ。あなたの背中の…この傷を」
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男の背中にある三本の平行線の傷を瑞枝の指先が再びなぞる。
それは爪の先ではなく指の腹だが、今度は力強く男の背中に喰い込んでいる。
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パソコン画面のタイヤの傷に添えられた瑞枝の指先。
その自分の指先をじっと見つめながら苦笑する瑞枝。
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| 瑞枝 | 「つ・爪で…?―は・ははっ。―そんな…そんな馬鹿な…」
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瑞枝、自分の想像を否定するかのように首を左右に振る。
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