人警 闇
  introduction
 

 県警本部、最上階の大会議室の窓は広く、そこからは都心部の街並みが遥か遠くまで見渡せる。室内最前部に置かれた横長のデスクには、県警副本部長、本部広報部々長、本部地域部々長、東警察署々長、東警察署地域課々長の面々が、集まった記者たちを前に座っている。

「鳴り物入りだ」

 机の横、記者たちに向って並んで立つ四人の婦人警官の一人、最年長の慶子はそう思いながら、副本部長が会見の開始を告げる挨拶を聞いている。
 眼鏡をかけた彼女が、レンズ越しに見た記者たちの数は、事件とは直接の関係がない今日の報道発表内容にしては、やけに多かった。四人の婦警たちの中で唯一、慶子だけは、「今回のアイディア」が本部長の発案だと事前に聞かされていたので、この大量の記者たちは、きっとそのせいで呼び集められたのだと思った。
 副本部長の挨拶に続いて、広報部長の流暢な解説がはじまる。

「―お手元の資料にもありますように、来月一日から、東区若宮町の若宮三丁目交番を女性警察官だけが勤務する交番として運営することにいたしました。えー、若宮三丁目交番は、一昨年から当県警が進める交番の統廃合に伴い、若宮駅前交番に統合されておりましたが、東区新都心部である若宮駅前再開発による人口増加が予想され、それに対応する目的で今回の復活を決定したものであります」

 記者の一人が、話の腰を折るように質問する。

「あの、交番の統廃合というのは…」

 本部地域部々長が、広報部長に変わって答えはじめた。

「―昨今の治安情勢の変化によって、交番一箇所あたりに配属される警察官の数がどうしても足りない…つまり、市民が訪れても警察官が不在という、いわゆる空き交番が増加する傾向がありまして…その対策として…」

 四人の婦人警官の中では最年少、高校卒業後、警察官になり二年目、20歳の茜は地域部長の話に心の中で頷いた。

「あー、なるほど。でも、よかった…お偉いさんが答えてくれて。私、聞かれても答えられなかったわ…そういう事をレクチャーしてもらわなくっちゃ…ねぇ」

 茜は、心の中での問いかけに同意を求めるように、隣に並ぶ巡査長の由香を、ちらりと見た。しかし、由香は、茜とは別の事で頭がいっぱいだった。

「―いえ、不安はありません。―不安はありません」

 由香は、会見前のレクチャーで念を押された「質問への答」を頭の中で繰り返していた。

「―不安はありません。若宮三丁目は商業施設の多い駅前と違い、都心型マンションが増加し、独身女性や高齢者の入居も多いと聞きます。交番の仕事と一口に言っても、地域の特色によってその内容は異なると思います。男性の勤務する駅前交番と密接に連携を取りながら、女性ならではのきめ細やかな対応で地域住民の皆さんに愛される交番を目指します」

 事前レクチャーでの地域課長の顔が浮かんだ。彼は、特に由香と茜に釘を刺すように言った。

「君ら、不安はないかと記者に聞かれても、不安はありますが頑張ります、なんて言うなよ!」
「では、なんと答えさせましょう!」

 四人のリーダー、巡査部長の慶子が、彼女のトレードマークの眼鏡の奥から、鋭い目で課長を見た。慶子の口調は半ば喧嘩腰だったので課長の顔が険しくなった。その険悪なムードを遮ったのは、瑞枝だった。

「―こういう答え方はどうでしょう?―若宮三丁目は商業施設の多い駅前と違い、都心型マンションが増加し…」

 そう言って、由香が今、心の中で暗誦している「理想の回答」を話しはじめた。由香と瑞枝は三年前の警察学校では同期だった。しかし瑞枝は由香より三つ年上で、今は28歳だ。瑞枝にはその分、三年間の民間会社での社会人経験があった。
 ―しっかりしていて羨ましい、と由香は同期の瑞枝を尊敬していたが、それを話すたびに、瑞枝は「私が三年かかって合格した試験に、由香は一発で合格したじゃない。あなたの方が優秀よ」と厭味なく言ってのける。そんな姿に、さらに由香の瑞枝に対する尊敬の念は増した。

「それに比べて…」

 由香は、模範解答の暗誦を中断し瑞枝の逆隣りに立つ茜を見た。
 四人の婦人警官への事前レクチャーが終わり、由香が手洗いに入った時、茜は鏡の前で化粧を直していた。用足しを終えて出てきても、その入念なメイクは続いていた。

「そろそろ時間じゃない?」

 ―早くしなさい、と急かす様に言いかけて思いとどまり、瑞枝を真似て、そう言ってみた。

「すみません、すぐ済みます。今日はテレビも来るらしいから…」

 その後、そのドキリとする質問を茜は投げた。

「そう言えば、由香さんと瑞枝先輩って同期ですけど、年が違うじゃないですか。そういうの、由香さん的には微妙じゃありません?私の同期にも五つも年上の人がいて、なんか気を使っちゃってやりにくかったなぁ…」

 瑞枝ならこの質問にどう答えるか、由香は想定できなかった。私だって茜の五つ年上だ。それに、なぜ、瑞枝が「先輩」で、私は「さん」なの?動揺を隠そうとした由香の口調は厳しいものになった。

「なんでそういう事を訊くの!それより、化粧、早くしなさい!」

 ―私に対して瑞枝や慶子さんも、自分が茜に感じるような気持ちを持っているのだろうか。それが表に出ないだけ彼女たちは大人なのか…それとも、自分が鈍感なのか…言ってしまって、由香はそう思い、気が重くなった。

 茜につづき由香が手洗いにたち、室内に二人だけになるのを待っていたかのように、慶子が眼鏡を外しレンズを拭きながら、瑞枝に話しかけた。

「さっきはありがとう。ダメね、私。すぐああいう言い方になっちゃう」
「いえ、そんな事はないですよ。あれは課長が悪いんです。婦警だけの交番だなんて不安じゃない方がおかしいですよ。それに…」
「―それに?」

 慶子の問いかけに、瑞枝は笑って答えた。

「課長が一番不安に思ってるんですよ」
「あぁ。―そうね、きっと」
「あんな時に、上に怒って私たちを守ってくれるのがリーダーの仕事です。私は、あの言い方で、却ってよかったと思います。―私の方がダメなんですよ…」
「え?」

 瑞枝は少し俯いて慶子に言った。

「私、いつも、その場を丸く収めることばっかりで…後悔しちゃうんですよ。今回も、課長、反省してないですよ」

 慶子は手元の眼鏡をかけて、瑞枝を少しの間、見つめた。レンズの向こうで、瑞枝の輪郭がシャープになった。

「何、言ってるの。頼りにしてるんだから」

 そう言って、励ますように、俯いたままの瑞枝の肩を叩いた。

「では、若宮三丁目交番に配属される、四人の女性警察官を紹介いたします」

 東署地域課々長が記者たちを前に誇らしげに話している。

「―岡林慶子巡査部長、32歳、今年10年目となる経験豊富なベテランです。―羽田瑞枝巡査長、28歳。―峰山由香巡査長、25歳。羽田巡査長と峰山巡査長は同期でありまして、抜群のチームワークが期待できるでしょう。―松井茜巡査、20歳。彼女は、この春、警察学校を卒業した東署のホープです」

 課長が誇らしげながらも、時折、苦々しい顔をするのは、先ほどのレクチャーの後、慶子と瑞枝から、一点の申し入れがあったからだ。

「配布資料には記されていない私たちの年齢に関する質問が、どうせどこかの記者から出るでしょうから、紹介の際、課長の方から追加してフォローして下さい」

 ―それでは、記者たちに、この俺がデリカシーがない奴だと思われるではないか、と言い返したかったが、記者の質問を待ち、本人たちに答えさせようとした自分の思惑こそがデリカシーがない―そう指摘されるのがオチだ…と気がつき、渋々と承諾したのだった。
 課長は、「岡林と羽田で共同戦線を張りやがった」とは思ったが、それも若宮三丁目交番にとってはプラスの傾向だとも一方では考えていた。


 幾多ものフラッシュが焚かれ四人の婦人警官を包む。数々の眩しい閃光は彼女たちの陰影を消し去るかのように光り輝く。
 ―これから、彼女たち一人一人に覆い被さってくる「闇」とは全く無縁であるかのように…。



 

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