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「どうだい、かなり刺激的だろう」
男の笑い顔が近付いてきた。そして、その笑った口が開き、男は上下の唇で瑞江の舌の根元を挟むと、その先端に向かって唇をつうっと滑らせた。
男の唇が瑞江の舌の先から離れると、どちらの物とはわからぬ唾液が細く糸を引く。
そして、つづいて互いの額が密着するように彼の顔が接近した。制帽のひさしが曲がった。
「たっぷりと歓ばせてやるよ」
額を密着させると、男の掌が瑞枝の股間を下から鷲掴みにした。
「ぅ!」
「―だがな、ここで強姦まがいに婦人警官の制服のまま犯されるというのは…」
額を強く瑞枝に押し付けたまま、男は笑いながら言った。
「君が予想している範囲の事だろう…それじゃぁ、こっちとしては面白くない」
「?」
股間を掴んでいた男の手の力が緩んだ。しかし、男の額には徐々に力が加わり、瑞枝の額にますます強く押し付けられる。
男の額は冷たい。
瑞枝は、未知の刺激の興奮に火照ってしまった顔の熱が、彼の額との接点から急激に吸い上げられるように感じていた。―いや、額の密着によって吸い上げられているのは私の体温だけではない…。
―私の思考も。
そう考えた瞬間、微熱の体を突然の悪寒が襲う。そんな瑞枝から、男はゆっくりと額を離しはじめた。
「陵辱的なセックスを強要されたくらいで傷つく女じゃないってことくらいお見通しさ」
徐々に男の顔が瑞枝から離れていく。
「こっちも慣れあいのプレイなんか初手からやる気はないんだよ」
男の顔が距離をとるつれ、瑞枝の眼には、近すぎてぼやけていた男の表情が鮮明さを増してくる。
そして―男の顔にピントが合った。
―驚愕、そして恐怖。
男の顔は人の顔ではなかった。人の顔の体を成していないのではない。一箇所だけ、人とは違う部分があった。
―それは、眼だった。
男の瞳だけが人間の物ではなかった。丸い白目の中で、黒目が極端に縦長になっている。
―男の瞳は猫の目だ。
「きゃぁぁぁぁあ!」
その顔を見て瑞枝は絶叫した…と、途端に身体のバランスが大きく崩れ、瑞枝は臀部に痛みを感じる。
そして、静寂が訪れた。
「え?」
後ろ手に嵌められていたはずの手錠の感覚がなくなっていた。
「み・瑞枝先輩!」
聞き慣れた声が聞こえた。
瑞枝自身が想像していた通りの声でもあった。静止していたはずの茜が駆け寄ってくる。かつて見た慶子や茜と同じく、交番先約100メートルの歩道上で、今、瑞枝は尻餅をついていた。
「だ・大丈夫ですか?」
かつての自分と同様に転んだ瑞枝を見たせいか、さすがの茜の表情も曇っている。
「す・すごい大声だして転んじゃって…」
そう言って茜は左右を窺う。深夜の歩道で聞こえた女性の悲鳴が婦人警官のものだという事を気にしているようだった。
「―あ・茜…」
「まさか、せ・先輩も…み・み・見たんですか?」
歩道にペタンと腰を落としたままの瑞枝は、突然の変化に驚きながら次第に状況を呑み込みはじめる。
―帰って来た…。
「う・うん。見た」
「―で、な・何を見たんですか?」
茜に問われて、瑞枝の頭には目覚める直前の男の顔が浮かぶ。
―猫の目。
「あっ!先輩!」
彼の瞳を思い出した瞬間、瑞枝は交番に向かって駆け出していた。
―ミーシャ!
うすうす感じてはいた…ただ、あまりにも馬鹿馬鹿しく、思い浮かぶ度に打ち消していた推測だった。しかし、自分自身が幻視を体験した今、現実離れした考えの方が理屈に合う、と思った。
全力で走る瑞枝の目に交番の扉が近付いてくる。心臓の鼓動が高まる。だが、動悸が激しくなったのは疾走のせいではない。
―慶子さんと茜が、そして私が転んだのは、あの子猫が来てからだわ…!
交番の扉に手を掛けた時、現実離れしていると思っていたその考えは、いつの間にか確信に変わっていた。
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