人警 闇
  Scene03
 

  #09 瑞枝 05

  「どうだい、かなり刺激的だろう」

 男の笑い顔が近付いてきた。そして、その笑った口が開き、男は上下の唇で瑞江の舌の根元を挟むと、その先端に向かって唇をつうっと滑らせた。
 男の唇が瑞江の舌の先から離れると、どちらの物とはわからぬ唾液が細く糸を引く。
 そして、つづいて互いの額が密着するように彼の顔が接近した。制帽のひさしが曲がった。

「たっぷりと歓ばせてやるよ」

 額を密着させると、男の掌が瑞枝の股間を下から鷲掴みにした。

「ぅ!」
「―だがな、ここで強姦まがいに婦人警官の制服のまま犯されるというのは…」

 額を強く瑞枝に押し付けたまま、男は笑いながら言った。

「君が予想している範囲の事だろう…それじゃぁ、こっちとしては面白くない」
「?」

 股間を掴んでいた男の手の力が緩んだ。しかし、男の額には徐々に力が加わり、瑞枝の額にますます強く押し付けられる。
 男の額は冷たい。
 瑞枝は、未知の刺激の興奮に火照ってしまった顔の熱が、彼の額との接点から急激に吸い上げられるように感じていた。―いや、額の密着によって吸い上げられているのは私の体温だけではない…。

 ―私の思考も。

 そう考えた瞬間、微熱の体を突然の悪寒が襲う。そんな瑞枝から、男はゆっくりと額を離しはじめた。

「陵辱的なセックスを強要されたくらいで傷つく女じゃないってことくらいお見通しさ」

 徐々に男の顔が瑞枝から離れていく。

「こっちも慣れあいのプレイなんか初手からやる気はないんだよ」

 男の顔が距離をとるつれ、瑞枝の眼には、近すぎてぼやけていた男の表情が鮮明さを増してくる。
 そして―男の顔にピントが合った。

 ―驚愕、そして恐怖。

 男の顔は人の顔ではなかった。人の顔の体を成していないのではない。一箇所だけ、人とは違う部分があった。
 ―それは、眼だった。
 男の瞳だけが人間の物ではなかった。丸い白目の中で、黒目が極端に縦長になっている。

 ―男の瞳は猫の目だ。

「きゃぁぁぁぁあ!」

 その顔を見て瑞枝は絶叫した…と、途端に身体のバランスが大きく崩れ、瑞枝は臀部に痛みを感じる。
 そして、静寂が訪れた。

「え?」

 後ろ手に嵌められていたはずの手錠の感覚がなくなっていた。

「み・瑞枝先輩!」

 聞き慣れた声が聞こえた。
 瑞枝自身が想像していた通りの声でもあった。静止していたはずの茜が駆け寄ってくる。かつて見た慶子や茜と同じく、交番先約100メートルの歩道上で、今、瑞枝は尻餅をついていた。

「だ・大丈夫ですか?」

 かつての自分と同様に転んだ瑞枝を見たせいか、さすがの茜の表情も曇っている。

「す・すごい大声だして転んじゃって…」

 そう言って茜は左右を窺う。深夜の歩道で聞こえた女性の悲鳴が婦人警官のものだという事を気にしているようだった。

「―あ・茜…」
「まさか、せ・先輩も…み・み・見たんですか?」

 歩道にペタンと腰を落としたままの瑞枝は、突然の変化に驚きながら次第に状況を呑み込みはじめる。
 ―帰って来た…。

「う・うん。見た」
「―で、な・何を見たんですか?」

 茜に問われて、瑞枝の頭には目覚める直前の男の顔が浮かぶ。
 ―猫の目。

「あっ!先輩!」

 彼の瞳を思い出した瞬間、瑞枝は交番に向かって駆け出していた。

 ―ミーシャ!

 うすうす感じてはいた…ただ、あまりにも馬鹿馬鹿しく、思い浮かぶ度に打ち消していた推測だった。しかし、自分自身が幻視を体験した今、現実離れした考えの方が理屈に合う、と思った。
 全力で走る瑞枝の目に交番の扉が近付いてくる。心臓の鼓動が高まる。だが、動悸が激しくなったのは疾走のせいではない。

 ―慶子さんと茜が、そして私が転んだのは、あの子猫が来てからだわ…!

 交番の扉に手を掛けた時、現実離れしていると思っていたその考えは、いつの間にか確信に変わっていた。
 



  #10 瑞枝 06

  「うっ!」

 交番の扉を開けた瑞枝は、まず強い臭気に襲われた。
 錆びた鉄の匂いだった。―いや、錆びた鉄の匂いにそっくりの匂いだった。瑞枝の記憶に、婦人警官となって経験した凄惨な事故現場の…そして残虐な事件現場の光景が甦る。

 …血の匂いだ。

 そして、瑞枝の目に入った色彩は鮮血の赤だった。交番の中は真っ赤な血液の飛沫で彩られていた。
 そして、その飛び散った血の中心にミーシャはいた。子猫は既に物体となり、瑞枝の足元の血溜まりの中に浸って、動く事なく横たわっていた。

「こ…これって…いったい」

 そう呟いて呆然と立ちすくむ瑞枝の背後で大きな声がする。

「せ・先輩!な・なにをしたんですか!」

 振り向いた瑞枝の目に、交番入り口で信じ難いものを目撃した表情でこちらを見ている茜の姿が映る。

「こ・これ、どういう事ですか!ミーシャを…。―ひ・ひどい!」

 茜は泣き声になり、その頬に一筋の涙を流した。

「違う!―私じゃない!」

 瑞枝は大きく首を左右に振ったが、茜は涙で真っ赤になった瞳を向けてさらに叫んだ。

「いいえ、違いません!」
「茜!信じて!―違うのよ!」
「違わないですよ…先輩」

 今度の茜は落ち着いた声で言った。そして、両頬の涙が乾いた茜は、瑞枝を見つめたまま、唇だけでニコリと笑った。

「ミーシャがいなければ何も起こらなかった…そう考えたでしょう…先輩」

 ―え?茜…あなた、今、なんて言ったの?

「瑞枝先輩が考えたから、こうなった…って言ったんですよ。だからこうなったのは瑞枝先輩のせいなんですよ」

 ―あ!まさか!

「ひどいですよ先輩。私が男とやりまくってる…なんて思っていたんですか?そりゃぁ、私は一見、節操なさそうに見えますけどね…」

 笑顔のままでそう言いながら、茜は瑞枝に向かって静かに歩き出した。

「―先輩だって、デパートですごい事やってたんですねぇ。どっちがやりまくり…なんでしょ…ねぇ」
「あ・茜…あなた…」
「へぇえぇー。慶子先輩の事…ババァって思ってたんですかぁ」

 退いた瑞枝の腰が机にぶつかった。これ以上、後ろには進めない。しかし、茜は瑞枝を追い詰めるようにゆっくりと一歩一歩近付いてくる。
 茜は、瑞枝の目の前で立ち止まり、上半身を乗り出して息がかかるほどの距離にその顔だけを近づけた。

「私から見りゃぁ、あんたもババァなんだよ!」

 そう強く吐き捨てると、茜の掌が瑞枝の頬を打った。
 ピシャッ!

「知ってるんですよ。さっきは昔の男に責められて濡らしてたって」

 頬を平手打ちした茜の右手が瑞枝の股間を掴んだ。―まるで先ほどデパートのバックヤードで男がそうしたように。

 ―まだ、私は幻の中だ。畜生畜生畜生!「奴」は茜になった!―茜が見たという車中の夢が警察学校の理髪室に舞台を移したのと同じだ。

「私がやっても興奮してくれます?―先輩」

 幼さが残る茜の顔に淫靡な笑みが宿っていた。
 ―目の前にいる彼女は茜であって茜ではない…瑞枝には解かっている。理屈ではよく解かっているのだが、戸惑いを超えた混乱の中でその事にどう対処していいのかが解からない。
 茜の左手が焦る瑞枝の肩を掴んだ。肩を押され瑞枝は背中からデスクに倒れた。後頭部が書類ケースに強く当たった。その痛みも引かぬ間に、茜の左手が強い力で瑞枝の上半身を机の上に押しつける。茜の右手は瑞枝の股間を握ったままだ。

「ふぅん。瑞枝先輩はエムっぽく責められるのが好きだったんですかぁ…」

 そう言いながら、机上に仰向けにされた瑞枝に茜が覆いかぶさってきた。そして、茜の右手は瑞枝の股間にあてがわれたまま制服のスカートを少しずつ捲り上げるように動き始める―と同時にその指先の動きは、巧みに瑞枝の性器を刺激した。
 その刺激に抗おうとした瑞枝の顔を上から覗き込んで茜が笑った。

「あらあら、女にやられても興奮しちゃうんですか、先輩」
「ち・違う!―ひ・卑怯よ!」

 やっと声が出た。
 言葉に出して否定したのには理由があった。「幻」が茜に姿を変え、自分を責める事に対して怒りを感じたから…ではなかった。
 ―そうやって声に出して否定しないと自分が置かれた今の状況を忘れてしまいそうだったからだ。

 それほど、茜の…いや「幻」の指使いは、何故か上手かった。
 



  #11 瑞枝 07

  「や・やめなさい、茜…」

 既にスカートを捲り上げられ、ストッキングの上から股間に与えられる刺激に堪えながらそう言った瑞枝だったが、心の中では無駄な抵抗だとも理解していた。だが、今、そう言っておかないと、これ以上、性器を弄ばれつづけたら声に出してそう言う事すら出来なくなる、と思った。

 そう自覚してしまうだけの何かがあった。

 現に、今、茜にそう言った自分の声も既に小さく震えている。―震えているのは、幻視の中にいる不安のせいではない。
 ―このままだと濡らしてしまう。濡らしてしまう事で自分の興奮は倍加してしまう。そうなっても、この指の動きが止まらなければ…私は…きっと…。
 考えただけで身体が熱くなった。

「やだ、先輩、顔が赤くなってる。うふふ」

 皮肉な口調で茜が言った。―だが、彼女の指の動きは休まない。茜の中指はストッキングとショーツを通して執拗に瑞枝のクリトリスを摩りつづけている。

「ダ・ダメよ…茜…」

 瑞枝は対処に困っていた。―相手の姿が先程の彼のままだったらもっと私は攻撃的になれただろう…でも、茜の姿では…。
 ―ん?いや、違う…私は、この茜が本当の茜じゃない事を知っている。―なのに、なぜ強く抵抗できないのだろう?
 瑞枝の脳裡に何かの糸口が見え隠れしていた。微かに何かが解かりかけてはいる…が、茜の指はそんな瑞枝を朦朧とした世界に引き戻す。

「うふふ。―きた?きました?」

 茜は無邪気な表情で笑いながら瑞枝のストッキングを掴んで引っ張り上げた。ストッキングの中央を走るラインがショーツ越しに性器の割れ目に強い力で食い込んだ。そのストッキングは下着を通して瑞枝の最も敏感な部分を刺激している。クリトリスに伝わってくるショーツの布の感触が、瑞枝の興奮に輪をかけていた。

「直接、いっちゃいましょうか」
「あ・ゃだ…」

 瑞枝の口から弱気な小声が上がった。
 ストッキングを強く引っ張る茜の指先でプツプツと繊維が裂ける音が響いてきた。そして、その音とともに茜の声も聞こえてくる。

「この音、好きでしょう、先輩…。元彼と楽しんだ時、結構、パンスト破かれてたみたいですね…うふふふふふ…先輩の事、色々と解かるんですよ、私」
「ゃ!そ・そんな事、言わないで茜…」

 茜に向かってそう言った瑞枝だったが、相手は「茜」ではないのだ…なぜ私は強く抵抗できないのだ?

「アラ、まだ解からないんですか?先輩…」

 茜が笑って言った。彼女の指はストッキングの裂け目から内側へと入り、ショーツの股布を摘んで捲り、瑞枝の性器に直接触れた。
 瑞枝の性器は濡れはじめていた。

「普通、女の指に弄られて興奮するわけないって思いません?」

 茜の顔が、瑞枝の視界の中でぼんやりと滲んだ。焦点がぼやけた茜の顔が、さらに瑞枝に話し続ける。

「たった一人の女の指をのぞいては…ね」

 婦人警官の制帽をかぶった女の顔に再び焦点が合った。
 その婦警の顔は茜のものではなくなっていた。瑞枝の目の前で、茜とは別の婦警の顔が笑っていた。
 それは、瑞枝が最もよく知っている婦警の顔だ。

 ―それは、瑞枝自身の顔だった。

「自分に素直になりなさいよ…瑞枝…」

 自分の顔をした婦警が口を開いた。鏡を見ているわけではない。私の目の前にある自分の顔は笑っている。だが…私自身は笑ってはいない。
 性器に刺激を受けつづけながら瑞枝は思う…これは私の指だ…私が快楽を得るために自分の性器を触る時の指の動きだ。茜に姿を変えた「幻」の指の技巧が優れていたわけではない…。自慰の時の私自身の指の動きを、ずっとトレースされていたのだ…。

「―やっと気がついた?」

 もうひとりの瑞枝が余裕の笑顔を浮かべながら話しかけてきた。

「あなたにとって私は最高のパートナーよ。だって…」

 話しながら彼女の中指が瑞枝の陰核を摩り上げる。

「ぅ」
「あなたが好きな場所もタイミングも…全部、わかっているんだもの」

 摩り上げた中指の腹をクリトリスに押し付けて微振動を与えながら、人差指と薬指が静かに大陰唇を広げる。

「ゃだ…」

 と、声に出したが、抵抗しても無駄だろうと、瑞枝は半ば諦めかけている。
 その思いには理由があった。
 ―元彼は、元彼の姿ではあっても元彼ではなかった。―茜も、茜であっても茜ではなかった。―でも、今、私を責めている自分に対して、それは通用しなかった。
 
 ―目の前で私を責めているのは…私自身だ。他の何者でも…決して…ない。

 そして同時に思う。

 ―元彼も茜も本人たちではなかった…。その正体は…全て、私自身だったのだ。
 



  #12 瑞枝 08

  「だから言ったじゃない…あなた以外の事は解からないって」

 と、瑞枝に向かって瑞枝が言う。

「…その代わり、あなたの事はあなた自身よりよく解かるのよ」

 そして瑞枝は唇の端を少しだけ上げて瑞枝に笑いかけた。瑞枝の股間にあてがわれた指先が、また動きはじめる。自慰とも呼べぬ不思議な自慰が再開した。
 その指の腹でクリトリスに細かい振動を与えていた中指が、人差指と薬指で広げられた性器中央を爪先で撫でるようにスッと下降する。そして性器の下部まで達すると、素早く折り返してクリトリスへと戻ってきた。だが復路は、撫でるようにではなく、膣を抉るように通過した。

「ふ…ん」

 思わず吐息が漏れた。―自分に姿を変えた「幻」の指がそう動いた理由を瑞枝は解かっていた。
 濡れ具合を確かめたのだった。
 そうして戻ってきた指先は、今度はゆったりとしたテンポで、だが先刻よりは強く、瑞枝のクリトリスを押すように動く。そして、今、中指が刺激しているのは、クリトリスだけではない。指の先端部分が最も敏感な部分を責めつづけるのと同時に、第一関節と第二関節の間の部分が膣の入り口に圧力を加えていた。

 その動きに責められながら瑞枝は思う。
 ―あぁ、私、もうそこまで感じてるんだ…。
 濡れ具合を確かめた後、指がそう動くというのは、瑞枝にとっては「そういう事」だった。
 ―こうやって幻の自分に慰められながら絶頂を迎えるのが私の見せられる夢だったのか…と自虐的な気分に沈みながら、そう思った。思いながら目の前の自分を見た。もう一人の瑞枝は自嘲の微笑で自分を見下ろしていた。その自嘲は幻が幻自身を嘲っているのではない。自分の姿となった幻が、私自身に向けた笑みだ。笑っている幻が羨ましかった。出来る事なら瑞枝自身も自分を嘲いたかった。幻の嘲笑を見ながら少しだけ鏡を見ている気分になった。

「あら、開き直っちゃうわけ?―面白くないなぁ」

 面白くない、という言葉とは裏腹に瑞枝は笑い続けながら瑞枝に話しかけた。そして顔を近付け、相変わらずの笑顔のままで瑞枝に言った。

「じゃぁ、教えてあげようか…あなたが…心の底で思っていながら、今までやれなかったコトを…うふ・うふふふふ」

 今まで静かな笑みだった笑いが音になって幻の口元から洩れてきた。そして、瑞枝の姿となった幻は、微笑を絶やす事なく右手を瑞枝の性器から離すと腰に当て、拳銃を収めたホルスターに手を掛けた。手を掛けた後、笑顔のまま小さく首を傾げた。そして、瑞枝に問いかけた。

「どっちのピストルにしようかしら?―どちらも全く同じ物なんだけれどね」

 幻は腰の拳銃に手を掛けた姿勢で瑞枝の顔を覗き込んだ。右手は幻自身のホルスターに当て、左手は瑞枝のホルスターに伸びていた。
 そして、左手が、ホルスターのボタンを外しはじめた。

「あなたのピストルがいいわよね…その方が、きっと、私のピストルでするより…感じるわよ」

 瑞枝が瑞枝にニコリと笑いかけた。その笑みは、自慢げでありながらも他人には決して皮肉の笑みには見えず却って安心感を与えるという、普段の瑞枝が得意とする笑みだった。―が、今、幻からその笑いを見せられた瑞枝の胸の中に、自分の姿となった幻の顔に対する激しい嫌悪感がこみ上げてきた。
 ホルスターのボタンがパチリと音を立てて外れた。腰が拳銃の重さの分、スッと軽くなった。そして、頬に冷たい何かが当たった。―鈍く黒光りする鋼鉄の銃身だった。

「誰だってそういう下らない夢想をしてるわけよ、無意識のうちにさ」

 と、突然、頭の中に、先刻の元彼の声がした。真夜中の酒場のカウンターにドライマティーニのオリーヴに刺されていた串が数本並んでいる。

「そういう夢想ってあまりにも下らなくって意識の表面に浮かぶ前に理性で封殺されちゃうわけだよ」

 彼の瞳はバーテンダーの背後にある酒棚に向けられていたが、その向こうのもっと遠くの何かを見ていた。したたか酔っているだけかもしれなかったが、その眼差しで話をする時の彼が瑞枝は特に好きだった。

「記憶にも残らないからリサーチなんてとても出来ないけどさ、そういう無意識を捕まえて広告を作れたらさ、すごい作品が出来るって気がするんだよなぁ」
「―そうね…でも、それって広告っていうより芸術って感じね」

 瑞枝はそうやって微笑み、グラスを傾ける。

「バーカ!だからすげぇ作品になるんだよ」

 そう言い返す彼の瞳は決して怒ってはいない。

「なぁんかそんなさぁクリエイティヴがやりてぇよなぁ」

 こういう時のあなたを私、いつも抱きたいと思っていたのよ。だけど、こういう時のあなたは、残念ながら女には抱かれたくないモードなのよねぇ…。上手く…いかない…ものね…ホント、と瑞枝も酔った瞳で彼を見つめる。

 その思いに胸が締め付けられ、そして、股間が熱を帯びた。

 交番の中で自分の姿となった幻が持つピストルの銃口が瑞枝の性器の入り口に当たっていた。目の前で自分自身が勝ち誇った表情で笑っていた。
 銃口の先端が膣に侵入し、照準の突起がクリトリスを摩擦した。

「…は」

 と、小さな息を漏らしながら、瑞枝は思う。―これが私自身の姿なのだわ、と。

 微笑が得意でその笑顔が上手く他人に作用するのを自分で知っている醜い自分。冷静さを失わないために深く人と関わる事なく表面だけで対応する技量を持つ醜い自分。自分の本音を晒す事なく人の本音を聞きだす能力を体得してしまった醜い自分。―そして、余裕を忘れない涼しい顔の奥底で、その表情からは想像もできない事を心の中で考えている醜い自分。

 性器を出入りする拳銃の動きに興奮し絶頂に導かれながら、瑞枝はそう思う。そして、さらにこう思った。―どうせ醜い自分だ、拳銃に犯されながらも居心地のよい場所へ逃げてしまおう。そして、そこで絶頂を迎えよう、と先程のバーのカウンターを思い起こし、怪しいろれつで喋り続ける彼の横に腰掛けた。そして、今だ饒舌な男の唇に自分の唇で蓋をした。

 その瞬間に、なだらかな曲線を伴ったピークが瑞枝を包んだ。
 



  #13 瑞枝 09

  「み・瑞枝先輩…」

 全身を襲った大きな波がさざ波となり、さらに凪となるにつれて目の前にある婦人警官の顔が次第にはっきりとしてきた。
 最初は茜だと気がつかなかった。拳銃で自慰をさせる幻の自分の姿かと思っていた。だが、その姿が茜であるとわかり、さらに、今いる場所が交番の中ではなく、屋外の…交番先の歩道上であり、そこで尻餅をついている自分が後輩に心配されている状態にある、とわかってもなお、本当に「夢から醒めた」のか、と僅かな不安がある。目の前の茜は「本当の茜」なのかという不信感も拭いきれない。当の茜の表情は複雑だ。瑞枝は、茜の表情が複雑である原因もわからない。靄の中にいるような気分だった。

「…見たわよ。夢」

 と、瑞枝の方から口火を切った。茜を目の前にした沈黙の時間が重かった。―でも、待てよ、茜の方が沈黙の時間は苦手のはずだ…。普通なら、こういう時は何かしら茜の方からリアクションを見せるはずだ…。
 ―今、目の前の茜はいつもの茜と違う、と思いながらも瑞枝は考え込む。では、私は、まだ夢の中か?―いや、いつもとは全く違うこの茜の反応は、逆に、私の想像の外にある状態だ。そう考えると「現実」に戻っているという事か?―また、堂々巡りがはじまるのか…と、うんざりしそうになった。
 そして、呆然とした表情の茜の前で、思い切って自力で立ち上がった。

「あ、す・すみません」

 立ち上がった瑞枝に、茜が申し訳なさそうに言った。転んだ状態の瑞枝に手を差し出さなかった事に対して謝罪したようだった。

「―らしくないね、茜」

 と、瑞枝は後輩に言ってみた。

「ハイ…あの…そのぅ」

 茜はそう言って躊躇の表情を見せていたが、気持ちを吹っ切るように「ぇえぃ!」と声に出して首を左右に振って瑞枝の顔を見た。

「―瑞枝先輩…私がここで転んだ時に『お父さん』って言ったって話してくれましたよね」
「あ、うん、そうね」

 瑞枝は、出来るだけ平常を装って茜に答えた。

「あの、その…瑞枝先輩、たった今、転んだ時にですね…あのぅ…そのぅ」

 その茜の様子を見て、はじめて彼女の躊躇いの理由が解かった気がした。

「―ん、茜、気にしなくていいわよ…私が見たの淫夢よ、インム」
「インム…って…イン・ム、淫・夢…、淫夢ですか?」

 瑞枝は頷くかわりに茜に向かって微笑んだ。そして言った。

「エッチな感じになってた、私?」
「ぅ…ハイ、そのぅ…なんて言うか…」

 茜の顔が決心の表情になった。

「…い・淫夢っぽかったです」

 今の瑞枝には、そんな茜の様子が微笑ましかった。

「あ・はん、とか言った?」
「ぅ、あ、ぇー、そのぅ…。ち・ちょっとだけですけど…」

 茜の反応を見ながら「帰ってきたんだな」と次第に思えてきた。安心感が広がる。そして、やっと交番の方に足が向いた。

 ミーシャはまだ起きているかしら?

 瑞枝は「さ、行こ」と軽い口調で茜を促し交番に向かう。その後に早足で追いつきながら茜は言い訳するような口調で話しはじめた。

「あ、その、ちょっと興奮した感じっていうだけですから…そんなに、気にしないで下さいね、ホントに…」
「アハハ…いいのいいの。茜こそ、気にしないでよ、そういう私を見ちゃった事をさ…。なにしろ…」

 瑞枝は後ろからついて来る茜を振り返って言った。

「なにしろ、その淫夢には、茜も出てきたんだからね…。夢の中の茜ったら、私にすごい事したのよ…」

 茜の目が点になった。

「ぇ・ぇえ・えーっ!」

 茜がそう叫んだところで交番に着いた。
 瑞枝は交番の扉を開く。
 扉を開けた音を聞き、ミーシャが一声鳴いて、瑞枝を迎えた。―帰ってきた、と八割ほど実感した。―まだ二割だけの不安が、瑞枝にはあった。その二割が消えるのは、それからほんの30分後だった。

 半時間後の茜が瑞枝に尋ねる。

「ぁのぅ―差し支えなかったら、でいいんですけど…。私、瑞枝先輩に何をしたんですか?その淫夢の中で…」

 そう言った茜の瞳は、心配に曇りながらも、その奥は好奇心に爛々と輝いていて、瑞枝を心の中で苦笑させながらも『やっぱり茜はこうでなくっちゃぁね』と、この現実への帰還を確信させたのだった。


  Scene03<おわり>
 


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